04/24/06
ピューリタン革命2(ジェームズ1世の弾圧とメイフラワー号)
話を戻しますと、エリザベス1世は、子どもがなくて死亡しますので、スコットランド王ジェームズ1世が即位します(位1603〜25年)。
これによってチュウダー王朝は断絶し、スチュアート朝になるのですが、それよりもこの時点で、初めてスコットランドとイングランドが1人の王に統治されることになりましたので、このとき以来、現在のイギリスと言う一つの国としての観念が生まれたのです。
このイングランドの統一が、後のピューリタン革命の下地にもなっていくのです。(と、私が思っているだけかも?)
内戦の元は、スコットランドの反乱による戦費調達に発し、最後には、このスコットランド軍が王党派と連合するのですが、クロムウエル軍に負けてしまい、国王が処刑されるのですから、不思議な因縁です。
エリザベス1世末から、地方領主制が崩壊し、新たな勢力となっていた地方のジェントリー(新興地主層)と、おりから発展しつつあった大商人との対立、宗教的には、国教会内部はカルバン派が表面上は占めていたようですが、内実は保守的でカトリックそのものだったと言われています。
勿論、純粋なカトリック信者もいます。
スコットランドでは、カルバン派の中の長老派と言う穏健派で、イギリスでは宗教関係も今のイラクのように入り乱れていたのです。
他方で、政府は財政赤字に苦しんでいて、何とか増税したいばかりで、所謂社会矛盾が激化しつつあったのが、エリザベス女王末期の状態でした。
エリザベス1世の次のジェームス1世(位1603〜25年)は、皆さんご存知の王権神授説で国教会と組んで譲らないばかりか、大商人に肩入れして、地方新興地主層のジェントリーを敵にまわすと言う入り組んだ状態でした。
さしあたり、王権に真っ向から反抗するピューリタンに対し、ジェームス1世は、徹底的に弾圧します。
その結果、ピューリタンが新天地を求めて、メイフラワー号に乗ってアメリカへの移民を決行(1620年)せざるを得ないかったのですから、その弾圧の凄さが分かるでしょう。
命がけの航海の時代に、しかも行く先で食べていけるかどうかも分からない状況で祖国を棄てて出かけるには、よほど追い詰められた状態であったことがわかります。
現在のボートピープルは、行く先に着きさえすれば、さしあたり生きていける程度の保護をされるのが、分かっていますので、今とは、決死の覚悟の程度が大分違います。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
