04/24/06

革命は、経済格差・反動から始まる1(ピューリタン革命1)

中国近代でも、近代商業に参加した階層は、買弁資本家として、貧困層・置き去りになっている層からの反発を受けたもでした。
この不満をうまく吸収したのが、中国共産党だったのではないでしょうか?
何時の世にも、どこの国にも社会変化の激しい時代には、置いていかれる地域や人間がいるもので、(しかも、厄介なことにこの部分が、国民の大多数を占めるのです)こうした面を放置すると騒乱状態になり易いのです。
こうして最初の騒乱は、本来発展に対する不満に発していますので、ぶち壊しから始まるのですから、本来は時代錯誤なもの・・・反動です。
しかし、世の中は良く出来たもので、これを繰り返しているうちに、こんな事をしていても仕方ないと言う落ち着きが出て、結局は新しい時代に変わって行く切っ掛けになるものです。
この過程で、その当時のリーダーが血祭り・・政権転覆させられるのも同じですが、ま、いい迷惑(運が悪い?)と言うところでしょう。
日本の幕末攘夷運動がそれですし、イギリスのピューリタン革命もそうでした。
何故、ピューリタン革命と言うのかよく分かりませんが、内戦で活躍したクロムウエル軍がピュウリタン魂で鍛えた軍隊であったからかもしれません。
それはさておき、騒乱始まりの遠因は、イギリス政府は、エリザベス1世以来相次ぐ戦争の費用を賄うために、王領地の売却処分を進め、革命までの3代で全財産の3分の2くらいも使い果たし、財政的に行き詰まっていたのが、先ず第1の原因でした。
04/16/06「世界宗教の非合理化とその改革4(イベリア半島2)」のコラムで、スペイン王家フィリッペ2世が4回もの破産した例も書きましたし、免罪符発行の原因でも書きましたが、中世的徴税システムではやっていけない時代が来ていたのです。
江戸時代中期以降には、米に頼る徴税システムが破綻していたのと同じです。
ところで、対外的に活躍した有名な国王の後は、実はどこでも大変なのが普通です。
今でもそうですが、対外的発言力を高めるには、それなりの供応と言うか援助などの出費が必須です。
昔は、武力行使ですから、長期的には占領地からの上がりで潤うでしょうが、短期的には、武力行使に伴う出費・・戦費で経済的に参ってしまうものです。
12/16/05「漢民族の広がり?7・(南部地域からの搾取構造の確立)」で紹介しましたが、隋の煬帝の運河が、後世漢民族の南方支配に道を開いた千年の計ともいうべき大成果でしたが、その当時の国民は、目先の赤字財政に対し、政権の崩壊で応じたのです。
漢の武帝の後は、財政的に大変な時代を迎え低迷しますし、ルイ太陽王が派手に使った財政後始末で、孫がフランス革命を迎えるのと同じで、英雄と称される人が外征などで頑張った後始末と言うのは、大変なのは、どこでも昔からの相場です。



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