04/23/06
免罪符2と神社仏閣の経営戦略(森の石松)
西洋では、教会が資金不足を賄うために、免罪符と言う露骨な金集めをしたのがいけなかったのです。
日本でも厄除けの護摩をお願いしたりしますが(それなりに高いですよ)、何となくありがたいお経を唱えてくれたり、煙でいぶしたりして、ありがたい装置が用意されています。
それに、江戸の人々は成田さんまでの旅行を楽しんでいたのであって、前後のドンチャン騒ぎが目的ですから、宗教的意義が薄かったのは承知の上でした。
これは、弥次喜多道中記や落語を見れば分かるように,相模の大山あふりさん神社参りや、伊勢参りも金毘羅参りも、実質はみんな同じでした。
要するに、大きい所・・・全国区でやれる所は知的観光産業(国宝級の美術品は必須です)として、小さなところは寺子屋などの文教施設兼葬儀や菩提を弔う組織として生き残っていたのです。
この代参の系譜を引くのが、役人の地方出張でしょうか?
あちこちの地方自治体との協議会などと称して、出張しては会議が頻繁に開かれているのですが、勿論遊びに行くのが目的でなく、それなりの会議もしていますが、殆どその目的は、会議後の遊びにあったのです。
このころは、議員の海外出張が、その殆どが物見遊山であったと非難される記事が目立ち、その結果こうした出張は、自粛されるようになりました。
これまでは、一般職の主張も特別職の出張も似たようなものでした。
これが、ここ10年ほど前から、オンブズマンによる批判が厳しくなって、下火になっているのですが、江戸時代の伊勢参りとか日光の御代参などの歴史を引きずっているのですから、全く許されないと違法行為と言えるかは別問題です。
清水次郎長の子分、森の石松の金毘羅詣でも有名ですが、(「寿司食いね〜」と豪勢な旅です)こうしたお参りは(代参)長年の功労に報いる面もあったのですから、元々許された行為だったのです。
今のように出張と称して、その殆どが観光だったと目くじら立てること自体、おかしなものだったのです。
私のような個人事業で考えると分かりますが、仮に事務員が遠くへ書類を届ける仕事があった場合、(しょっちゅうでなく4〜5年に一回しかない場合です)
「この機会だから、その前後2〜3日休んで近くを旅行してきなさいよ!」
と言うのと同じです。
こう言うことは、私の事務所でも昭和時代まであったのですが、今は、合理化されて、郵便やファックスで間に合う時代ですから、人間が生身で移動する必要がまるでなくなり、仕事にゆとりがなくなった時代です。
仕事とゆとりに関しては、07/09/04「ゆとり 10(能率)」前後で連載しました。
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