04/22/06
ルターと農民戦争3(免罪符と 勧進帳)
また、話が横へ行きましたのでルターに戻しますと、ルターの所説は、ドイツ国民の政治不満に火をつける役割を果たしました。
彼が破門騒ぎから身を守るために、ザクセン選帝侯の居城ヴァルトブルク城に身を隠している間に、聖霊による神秘的な体験を重視し、聖書を軽んずる教派がおこり、広まっていきます。
この教派は、自覚のない幼児期の洗礼を無効として、成人の「再洗礼」を主張したので、再洗礼派と呼ばれているのですが、この動きから分かるように、最初は単なる現状不満派の動きでしたから、前向きの宗教改革運動ではなく、むしろ聖霊に対する信仰・・・まさに土着の非合理的な信仰を強化する動きになって行くのです。
私の言う所の世界宗教の本質である合理性に背を向けるものですから、不思議なことに、一種の反革命に結びついていったのです。
この点は、中国清朝末期の太平天国の乱を思い起こさせるような感じがしますが、太平天国の乱については、話が横へ行き過ぎますので、また別に書きましょう。
兎も角ルターの所説は、本人は、政治的影響まで考えていない単なる意見だった可能性があるのですが、諸侯が分立し、離合集散を繰り返し、複雑な政治状況にあったドイツでは、各政治勢力にとっては、
「これは、利用できる!」
と言う形で、それぞれが飛びついたのです。
この騒ぎの発端になった免罪符については、当時から、お金次第で贖罪できる免罪符は、宗教そのものの冒涜でないかと言う批判があったのですが、徐々に広がっていたのです。
多分農業社会で成立していた、修道院や教会の収入形式が破綻し、新たな収入源が必要になっていたのですから、まずいとは思いながらもやめられなかったのです。
日本で、商業の活発化につれて、武士階級の米による収入形式が破綻したのと類似しているでしょうか?
日本では、武士は妻の内職や傘張りでしのぎ、お寺は葬式や寺子屋などで何とか稼いでいました。
あるいは高野の聖のような仕組みで、全国に講を作ったりして、リピーター確保に躍起になっていたのです。
あるいは、弁慶の勧進帳で有名なところですが、古来から特別出費のためには、勧進してあるくのが普通でした。
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