04/22/06

ラテン語と漢文2(文盲率の基礎)

日本では、中国語を話せなくとも、漢字をそのままで、日本語読みにする工夫が出来(訓読み)ましたので、日本では早くから多くの人が文字に親しめたのです。
さらには、中国語そのまま(中国の文法)で書かれた漢文(原文のまま)であっても、レ点や一二三等の数字などをつけるなどの工夫によって、漢文をそのまま日本語で読めるように工夫していたのです。
(この歴史のお蔭で、今でも、英語やドイツ語の文書の読み書きは出来るが、英語やドイツ語を話せない人が多いのです。)
ラテン語が理解できないと、ラテン文字を読めなかった西洋に比べて、何と柔軟で自在な知恵でしょう。
万葉仮名の時代から徐々に漢文の訓読みが始って、平安時代には現在のような漢文の読み下し形式が、殆ど定着していたようですが、その詳細は別の機会にしましょう。
これに加えて、平安時代から、ひらがなが実用化されたことの文化的意義の大きさに、今更気がつく次第です。
この結果、日本では昔から男女を問わず、庶民までも、みんな文字を読めて、更に書けますので、文化は貴族の独占物でなくなり、庶民が(武士に始まり)繰り返し勃興して、いつも下からの上昇システムになっていくのです。
国司が郡司にとって代わられ、守護が守護代に代わられ、守護代が家老に代わられる等、下からの入れ替わりの激しさには、驚くばかりですが、教養の均一化・・・ひいては能力の均一化がしからしむるところではないでしょうか?
教養の均一化と言えば、
      「日本では、乞食まで朝日新聞の社説を読んでいる。」
と、日本に来た外国人が驚いたと言う逸話があるように、下々の下までレベルがあまり変わらないのです。
アメリカでの服部君の事件でも、あるいは、一寸した事件でも被害者になった場合の両親のしっかり加減は半端では有りません。
みんな日常的には、普通の庶民だった訳ですが、イザとなると大したしっかり物ばかりです。
幕末のジョン万次郎だけでは、有りません。
ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)の神曲が、当時普通であったラテン語でなく、地元トスカナ語で書かれたことで、有名なのはご承知のとおりです。
(と、高校時代に習ったように思うのですが・・・・いつも書くように、うろ覚えのコラムですので、悪しからず。)
学校で習うと、もうそのころからみんなが現地語の文書を読めたのかとおもうのですが、実は、マルチン・ルターのころまで、まだ聖書ですらラテン語でできていて、庶民には文字に縁がなかったことが分かるのです。
そもそも自分達の言葉で書いた文書がなければ、文字を習う動機すらないのですから、大変な事態です。



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