04/21/06

功利主義5とルネッサンスの時差2(イギリスの合理主義)

芸術家の次に時代精神に敏感な宗教界での意識気変化は、これまで見てきたように、1517年のマルチン・ルターによる論題が始まりでした。
ガリレオのように、合理的思考の必要な物理学・天文学の先駆者でさえ、1600年代半ばの人ですから、新しい商業時代に応じた精神・・合理主義が一般人に浸透し定着するのには、もっと時間がかかったのは仕方がないでしょう。
長い時間をかけて合理化された国民の心理状態を観察した成果として、国民は功利主義精神で生きているから、刑罰も合理化すべきだという立場で、「犯罪と刑罰」が書かれたのですから、ガリレオからさらに100年遅れた1700年代半ばであったとしても、おかしくないのです。
と言うよりは、宗教改革がかなり進んで、(と言うことは、合理的精神を支持する人が増えてきたと言うことでしょう。)来た結果があってこそ、功利主義が公認される土壌が生まれたと言えるのかもしれません。
そしてイギリスで、功利主義哲学が完成した(・・完成と言えば語弊があるかも知れませんが、兎も角ベンサムが出たと言うことは、)と言うことは、商業的・・合理的思考をする人々が、当時のイギリスで、最も多くなっていたことの証左でもあるでしょう。
この合理的、実証的思考法を重んじる人々が、イギリスで増えて来た結果、産業革命に繋がったのではないでしょうか?
必要は発明の母とも言いますが、子供は母だけでは生まれないように、海外植民地の増加による必要性だけでは、発明にはつながらなかった筈です。
これまで書いているように、大航海時代はスペインやポルトガルに始って、オランダなど海外植民地獲得では、イギリスよりも先行する国が多かったのです。
にも拘らず、それらの国々では、発明(産業革命)には繋がらず、後発のイギリスに敗退していったのは、海外植民地の獲得が、国民の合理的精神の涵養に結びつかなかったからでしょう。
では、西洋世界の発展では、最後尾についていたイギリスで、何故、合理的精神の先頭ランナーになれたのでしょうか?
後発国であったからこそ、新しい競争方法の開発が必要となり、それが武力・略奪だけでない本来の交易立国として食い込んでいくしかなかったことにあるのではないか・・・そこから商工業の発展し、発明発見に繋がったと思っていますが、これは追々、機会があれば書いて行きたいと思っています。



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