04/20/06

功利主義とは?2(罪刑法定主義2)

それまでは、一定の違反に対してどのような処罰があるとは、決まっておらず、判事のその日の気分次第で、軽微な犯罪でも死刑になったり、重大な犯罪でも軽い刑だったりいろいろだったと言われています。
(基準がないのですから、当然、そこには情実や汚職も、絡んできます。)
ベッカリアの
  「予め、何が犯罪になり、それに対する刑罰はどうなる」
かを決めて公開しておくべきだと言う思想が、フランス革命で取り入れらて罪刑法定主義になっていくのです。
これを人権思想の成果と宣伝し、これを是が非でも守らねばならないと言う人権思想家が多いですが、
       「一定のことをすれば、一定の刑罰を受ける」
と言う、事前広報に犯罪抑止効果があると言う思想から、出来た原則に過ぎません。
犯罪行為後に改正した事後法で、犯罪行為時では予想出来なかった重い処罰をすると、国民が法を信用しなくなるので、事後法処罰の禁止原則・・罪刑法定主義の原則が出来上がっていっただけのことです。
日本では、12/18/03「刑罰の種類3「公事方御定書2と刑法5」、12/22/03「刑罰の種類5「公事方御定書4」(財産刑)と刑法6」前後のコラムで紹介しましたが、そのころ既に先例にしたがって決まる仕組みでしたから、日本の法制の方が進んでいたことになります。
ちなみに、公事方御定め書きは、吉宗の時の大岡越前がまとめたとなっていますので、西暦に直すと、元文2年(1737年)公事方御定書の編纂に着手し、寛保2年(1742年)「公事方御定書」が出来上がっているのです。
この先例集編纂事業の前提には、もっと前から先例にしたがって、合理的運用がされていたこと先例の蓄積の存在が前提ですので、日本の合理的裁判の歴史は西洋よりもかなり古いことがわかるでしょう。
ただし、日本では明治の初めでも、法を公開する考え方はなく、関係者に配っていただけであることについては、07/29/05「明治以降の刑事関係法の歴史3(清律から西洋法へ1)」の法制度の紹介で書きました。



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