04/18/06
世界宗教の非合理化と改革7(仏の場合3・・・ナントの勅令3)
ナントの勅令に話を戻しますと、カトリックが国教であることには変わりはなく,ユグノーもカトリックの祭礼には従わねばならず、また公の礼拝には厳しい地域的制限が課せられていました。
この勅令で折角認められた信仰の自由も、ルイ13世時代の宰相リシュリュー(1585〜1642 )は徹底したカトリック支持者で、彼は激しくユグノー弾圧をします。
その次、ルイ14世(1638〜1715)は、言うまでもなくルイ太陽王として絶対権力を誇りましたから、国内で敵対する諸侯もないので、ユグノーを弾圧しただけでなく1685年にナントの勅令を廃止してしまい、法的にも非合法化してしまいます。
宗教改革の進展と言っても、時の権力争奪の力関係に翻弄され、その帰趨に殆ど規定されていたのが、分かるでしょう。
宰相リシュリューは、デユマの小説「3銃士」では、ダルタニアンの敵役として描かれるので、チャンバラ劇でも登場する有名な政治家です。
リシュリューは、小説や映画とは違い、私心のない熱心な政治家でしたが、騎士や諸侯を徹底的に消滅させていった点で、国民的人気がないのです。
ナントの勅令廃止、ユグノー弾圧の結果、多数のユグノーが国外に亡命してしまいましたが,彼らは商工業に従事する者が多かったため、その後のフランスの産業や経済に深刻な打撃となったと言われています。
商工業者がいなくなれば、改革運動の支持者がいなくなるのですから、伝統にすがりつきたい国にとっては安泰でしょうが、発展性がないのです。
これが、後のイギリスとの海外植民地での覇権争いに敗れ(後塵を拝し)、国民のストレスが溜まってフランス大革命に繋がっていく下地となるのです。
なお、ナントはフランス西部のロアール河口に近い都市であり、一種の商業都市だったのです。
ただし、リシュリューはドイツ30年戦争では、ライバルのハップスブルグ家の勢力を削ぐために、新教側を応援していますので、いつも書きますが、政治力学が宗教戦争を拡大していった面が大きいのです。
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