04/18/06

中央集権化と個人の権利

自民党の小泉総裁の派閥つぶしとのそ結果を見れば分かりますが、代議士と言う本来強いはずの人種でさえ、派閥と言う拠り所がなくなれば、根無し草のように弱い存在になってしまうのです。
小泉チルドレンと言うニックネームは、まさに彼らの弱さ・・・・代議士としては半人前的地位をあらわした言葉でしょう。
派閥を何故か悪者扱いするマスコミ論調ですが、大きな組織になれば、何らかのグループを作らねば、自分ひとりの意見を直接総裁に主張できる人は稀です。
コンピューター化の効能として、誰でも社長に直接意見をメールできると言われましたが、その結果として中2階組みの課長や部長はいらないと言われました。
中間組織がなくなってフラットになって、社長や会長が直接社員に指揮命令出来るようになったのは、分かりますが、この結果どのくらいの社員が直接大手企業の社長や、会長(例えばトヨタの奥田氏やキャノンの御手洗氏に対し、)にメールで意見具申しているのでしょうか?
機械化の進展で、支配者が簡単に全体を指揮出来るようになっただけではないでしょうか?
1人の指導者とその他大勢の集団では、総裁・・幹事長の組織トップに睨まれると次の選挙協力も得られないなど、いろんな方面からの規制が働いてしまう社会が、目の前にきているのです。
こういう組織になれば、腰がひけた状態で、恐る恐る意見を言っても、ちょっと跳ね返されれば直ぐに引き下がるしかないでしょう。
トップダウンを喝采する向きが多いですが、こうなると総裁その他団体トップの独りよがりで、国や組織の大切な方針が決められ、方向を誤る危険も大きいのです。
長い間には、イエスマンばかりの社会になってしまうでしょう。
自治体の広域化を進める政策は、能率ばかりの追及で、明治以来進めてきた中央集権化の集大成と言うところでしょうが、これを補完するシステムを考案しないと、社会が窮屈になってしまう危険があります。
4年に1回投票するだけでは、国民の個別事件に対する意見は、聞かれる余地もないのですから、民主主義の問題ではないのです。
しかも投票のときだけでしか意見表明できないのでは、国民の本当の意見は無視されることになります。
矢張り、一人一人が仲間と「あれはないよね!」とかの会話で、意見表明していける社会にして、はけ口を保障するのが自由主義社会でしょう。
うっかり言うと「唇寒し」と言うことで、みんなが黙っていなくてはならず、4年に1回投票だけできるから、「民主主義社会って、幸せだね!」って言うのは、奇妙です。
道州制になって、どこの誰かわからない人の投票なんかしてられないでしょう。
      「そんな暇あれば、どこかに遊びに行った方が良い」
と言う人(棄権者)が、さらに増えるのではないでしょうか?
身近な組織の代表者の選挙なら気になりますが、道州制ではあんまり大きくなり過ぎて、直接選べると言われても、ピンとこないのではないでしょうか?



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