04/17/06

裸になった個人の尊重? (フランスの民主主義)

イギリスがなだらかな社会変化をしていくのに対し、フランスでは、堤防の堤が切れるようないきなりの大改革になる傾向があるのですが、これまで大陸の観念論に対し、イギリスの経験論と言う言い方で説明されてきました。
それもそうでしょうが、フランスはこの時期に中間組織をぶっ壊してしまったために、民意を汲み取って溜め込む桶のようなものががなくなってしまったために、政治に無理が生じやすくなっただけのことではないでしょうか?
国民の不満が爆発するまで、まるで相手にしなくとも良いような、権力者に都合のいい硬直したシステムにしてしまったからではないでしょうか?
フランスでは、フランス大革命だけではなく、現在に至るまで、何かがあると革命騒ぎ・・あるいは類似の大騒動の繰り返しになる事が多いのですが、このような硬直したフランス社会の骨格を作っていったのが、このときに始ると言えるでしょう。
つい最近でも、雇用改革法では、大した反対もなく国会を通過していたのに、実施段階では、革命に類する大暴動に発展するのが、フランスの民主主義・・社会なのです。
これは、国民個人の意見を代弁する中間組織・・溜池がなくなって、砂粒のような国民一人一人が直接国家権力に向き合う仕組みにした弊害が現れたものでしょう。
個人を法の主体とすれば、鍛えられて強くなるとは言っても、個人のままの強さには限界があるのです。
家や地域の被膜を取り払って、個人を鍛えるだけでは、精神的な病質者が減ることはないでしょう。
ここ数十年来問題になっている消費者問題や公害問題は、どんない強い個人を造ってもどうにもならな現実の代表的なものでしょう。
どんなに強くなっても、一人が100人を相手に戦えませんし、まして相手が権力そのものとなれば、なお更です。
地域権力に代えて、全国的な労働組合や職能組織を構想する向きもありましたが、それでは人間の合理的な要求に分類的に対応できるだけです。
人間の要求や意向は、合理的に分類しきれないファジーな物の総合で成り立っているのですから、各種職能団体やサークルは、人間の総体的な意向(特定の職域に限らない)をファジーなまま汲み上げ蓄積し、これを発酵させたうえで、さらに大きな団体にそのエッセンスを伝えていく組織にはなれないのです。
地方自治体の広域化によって、地元の小さな共同体の復活が要求されるだろうという、03/16/06
「地方の独自性とは?9(自治体の広域化7) 」に書いた私の意見は、そういった視点に立つものです。



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