04/17/06

仏の場合2・・・ナントの勅令2(弱体な諸侯と個人の尊重)

ナントの勅令に戻しますと、領主の好きな宗教にして良いと言うのではなく、個人としての信仰の自由が認められたのは大きな前進でしたが、このころのフランスでは既に領民一人一人の地位が上昇していたことが窺われます。
何々家の誰それとか領地単位ではなく、個人が政治主体として、登場し始めていて、領主が宗教を決めたら、領民はそれに従う時代ではなくなりつつあったのが分かります。
あるいは、ドイツに比べて、フランスでは、封建領主の地位低下が早くから起こっていて、封建領主単位での軍事行動が、殆ど出来なくなっていたことに原因があるのかもしれません。
諸侯の衰退・・・次のリシュリュー時代には、王権の絶対化を求めて従わない諸侯の弾圧を繰り返し、絶対王政化を徹底して推し進めますが、これが可能になったのは、その前のアンリの時代から既に諸侯が弱体化していたことによるでしょう。
リシュリューによる弾圧で諸侯が宮廷貴族化していったことが、中間で兵をまとめる組織の消滅に繋がり、・・これがナポレオンによる国民皆兵制に結びついていくのではないでしょうか?
また、封建諸侯・・中間組織の弱体化から壊滅が、フランスの絶対王政政権の成立・・・・中央集権国家体制確立にも繋がり、早くから能率の良い国家を作れた点を積極評価する歴史叙述が殆どです。
いつも書くことですが、今の学者も明治政権の意向を引きずっているのです。
しかし、長期的に見れば、民意を代弁する中間の小組織がなくなってしまった弊害が生じてくる点にも思いを致す必要があるでしょう。
中央集権化すれば、国王が相手にするのは中間の諸侯ではなく国民個々人が直接の対象になります。
こうして必然的に個人が法の主体になっていくのですが、これは個人が大切にされているようでいて、実はそうでは有りません。
各家庭で言えば、弱い個人をそのままにして、親の意見を無視して弱い子供や妻に直接商人がアタックしてよいと言うのと同じで、外側の皮膜で守られてこそ個人も安心できる面があるのです。
家長とか領主とか、ワンクッション置いて貰った方が、何ぼか家人は安心なのです。
個人の人権と言いながら、国家にとっては、家とか、地域権力と言う上着がなくなって裸になってしまった(城で言えば、外堀がなくなった裸城と同じです)個人を相手に、やりたいように出来るようにしただけの話です。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資