04/15/06
世界宗教の非合理化と各種学問の離脱3 (商業活動の活発化と規範の合理化)
この貿易立国の成果で生まれた文化の花が、ルネッサンスですから、海路の知識・天文学が発達したのは当然でしょう。
そう言う意味では、ほぼ同時期に生まれたイスラム教と文明の基礎が似ているのです。
ベネチュアは、世界規模から見れば小さな地中海世界の範囲で活躍したに過ぎないのに対し、イスラムはもっと広大なインド洋を超えて、あるいは、中央アジアの砂漠を越えて、広大な地域に広がった分だけ、より多くの民族共通のルールが必要ですから、より普遍性・・合理性を獲得していたと言えるでしょう。
日本で言えば、瀬戸内海の海賊(来島水軍など)が、ここだけを宇宙と考えて行動しているのと、紀州熊野の海賊が、荒海を股にかけて、行動していたのとの違いと言えるでしょうか?
この小さな範囲とは言え、海洋交易を1000年もやっていれば、農業社会に適応して各地域の個性に根ざした信仰によって、地域化していたキリスト教の教義と合わない分野が出てきます。
こうして、少しばかり合理化されたルネッサンス以降の西洋人は、古代ローマ時代から、農業社会向けに編成されたキリスト教の体系に疑問を抱き始めたのです。
勿論、このころ行われた累次の十字軍遠征に多くの兵士が参加したことによって、イスラムの進んだ文化との接触があったことや、ベネチュアの海運業界が、イスラム諸国との交易による文化刺激の影響などを無視できません。
このイタリアに関係し、出入りする内陸の人々、あるいはオランダやドイツの貿易関係者(ハンザ同盟など・・・ライン川沿いに貿易も広がります)の増加によって、次第に古代の価値観に固執しているローマ法王庁に対する批判が広がっていきます。
ハンザ同盟の本拠地であるネーデルランドやドイツで、宗教改革運動が盛んになった理由もそこにあるのでしょう。
他方でスペインは、同じく海洋国家でありながら、商業的活動には、向いていない民族だったのではないでしょうか?
イスラムを追い出したレコンキスタが有名ですが、元々農業的色彩の濃厚な民族であったために商業的価値観のイスラムが国民性に合わなかったからこそ、一種の反革命として成功したのだと思います。
以前、03/04/06「商から農への転換11・・・中国の場合3(鄭和の遠征)」のコラムで、少し書きましたが、キリスト教徒がイスラムの支配から回復したのではなく、次第にキリスト教徒の方が増えてきて、勢力が逆転したからこそ、失地回復が出来たのです。
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