04/15/06
世界宗教の非合理化と各種学問の離脱2 (ルネッサンス)
この点儒学は、明治以降儒教と言われますが、それまでは、宗教でなく、学問であったのですから忠孝や社稷などへのこだわりさえ棄てれば、いろんな時代に適応していけるでしょう。
江戸時代までの儒学が、明治になるといきなり儒「教」と言われるようになった経緯については、11/30/05「明治以降の儒教的社会の到来1(農民の解体と仏教排斥)」前後のコラムで、連載しました。
明治政府にとっては、儒教的秩序は、学問的優劣の判断対象ではなく、兎も角盲目的無批判にに守らせるべき道徳だったからでしょうか?
あるいは、明治政府から見れば、儒学は「学」と言うものの、合理的批判に馴染まない保守的な西洋の世界宗教と同じものだと見えたので、学問から外して、格上げ?(棚上げの一種)または格下げしたのでしょうか?
キリスト教に戻しますと、教義と実態の乖離・矛盾が起きたときに、合理性にあわせて教義を変更すれば、折角農業社会に適応して獲得していた信者を失います。
これが怖くて、盲目的信仰に合わせて、飽くまで、天動説に組すれば、新しく勃興して来た知識階級(その基礎は商人階層でしょう)の支持を失います。
地面にへばりついて作業している農業では、腰が痛くなって、たまに空を見上げると空の星や太陽が動いているような錯覚にとらわれやすいのでしょう。
(移動空間も、狭いのです。)
これに対し、海洋や沙漠で遠距離交易に従事していれば、移動距離が長いだけでなく日々目にする視界も半端な広さでは有りません。
ところで、キリスト教教義の破綻・矛盾が問題になってきたのは、ルネッサンスによる各種の文芸が勃興したことによるのでしょう。
この事態は、イタリアの勃興・・・・中世ベネチア共和国の繁栄を抜きにしては、考えられないでしょう。
私たちの習った学校の歴史では、中世と言えば西洋のフランスを中心とした農業国ばかりの教育しかなかったように思いますが、ベネチア共和国は西洋の外側で?約1000年に渡って繁栄を続けていたのです。
この共和国は、追い詰めれられて海に出来た砂州に住み着いた弱小民族が始まりと言われていますが、土地がない分海路の貿易に活路を見出して繁栄を築いたのです。
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