04/13/06
政教分離4(宗教団体の利用と副作用2)
ただし、火遊びは危険です。
明治政府の王政復古と言う表向きの表現・・・2枚カンバンに喰らいついたのが、戦前の右翼思想家でした。
これが、次第に増長してきて、美濃部達吉の天皇機関説を攻撃し、さらには、次から次へと右翼国粋化への道を開き、国家を破滅に追いやるのです。
天皇機関説以来の右傾化については、06/07/03「天皇機関説事件とは 1」以下で連載しました。
国民の価値観は単一ではあり得ませんので、政治家はいつも複数の価値観を併せ持たねば多くの支持を集められません。
同じように大物(創業者)は、いろんな癖のある人物も使いこなせるからこそ、いろんな悪(ワル)も配下や協力者に抱え込めるのですが、それを継いだ青い2代目にはその能力がないので、親父の周りにいたワルにいいようにやられることが多いものです。
これは初代の方が偉かったとは、限らないのです。
初代・・創業者も若いときには、ずる賢い人に対抗する能力がなかったでしょうが、地位が上がるにつれて、次第に経験を積んで、いろんな人を使いこなせるようになっただけの場合が多いのです。
2代目は経験する暇もなく、親父の残した周りの癖のある自分より年上の人物に対応しなければならないのですから、大変なハンデイです。
この悲劇の武将が、武田勝頼であろうと私は思っています。
話があちこちに行きますが、ここで言いたいのは、明治の初めには岩倉・大久保その他叩き上げのクセ者ぞろいでしたから、王政復古と言いながら、他方で着々と近代化していけば、国粋主義者などは、(たまに飴玉でしゃぶらせれば)どうにでもなったのです。
幕末段階では攘夷思想を煽って反幕運動をけしかけていたのも彼らですが、政権を取ればあっさり開国近代化になるのですが、こうした芸当をうまく出来るのが、本当の政治家なのです。
復古政策といいながらも教育制度は近代化の一方で、国学などは隅に追いやられる一方であったのです。
こうした教育制度の流れについては、09/24/03「教育改革・・・・明治維新と学制改革(学制) 2(復古政策)」前後の明治以降の学制のコラムで紹介してきました。
それが明治政権も、2代目〜3代目の大正から昭和初期になってくると、そんな芸当を出来る人材はいません。
逆に親父の周りにいたワルに脅かされる始末になるのが、2代目と言うものです。
そこで、表看板の王政復古主義者が建前に乗っかって主張し始めると、それを押さえる人材がいなくなっていて、彼ら国粋主義者の出番となってしまったのが、わが国の不幸破滅の原因(もと)だったのです。
ワルを押さえる力のない、東条英機やその他の秀才が、国を滅ぼしたと言う私の視点については、10/15/03「教育改革18・・・・・多様な人材を育てる教育システム1」その他で書いております。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
