04/12/06
宗教と土俗信仰の違い4(政教分離1)
ところで政教分離と祭政一致が、言われ、政教分離していない国は、時代遅れのように思う方が多いと思います。
宗教が、私の構想する本来の合理的秩序維持機能を果たしている限りにおいて、むしろ国家に求められる権能とぴったり一致しているべきですから、政教分離は、必要がないのです。
それが各地の土俗的信仰との妥協で、各地域ごとに若干の変容を受けて、さらには農業社会への適応過程で、キリストや仏教では、秩序維持機能が失われて行ったのです。
このことが大きな原因で、偶像崇拝や異界の超常現象期待、さらには死後の世界などに入り込んでいったのが、現在の宗教であり、各宗派成立の原因でしょう。
土俗信仰と融合すれば、必然的に全世界的共通の価値観・・・・・合理性からずれてくることになります。
この不純化進行の過程で、合理的な裏づけがなければ維持できない実践政治と訣別せざるを得なくなっていったものと思われます。
また、この進行の過程で、独自の拠り所・・・戒律維持機能の存在価値が薄れる一方ですから、前回コラムで書いたように地域権力への迎合が必須でしたから、各地の宗教は政権そのものから分かれながらも、地域権力と密接な関係を保とうとするのです。
来世の安楽を祈って、権力者が多額の寄付をして各地に修道院を設立し、自分のために多くの修道士に祈らせることが流行ったり、修道院が各地で設立されたなどは、その非合理な信仰への結びつきと地域権力迎合の典型でしょう。
日本でも有力者の寄進が相次ぎ、今の京都の有名寺院として残っているのですが、宇治の平等院などのもその一例です。
もちろん生産性の低下した中世で、人減らしのために修道院に次々と若者を送り込み、これを受け入れるようになったことも政治協力の一つでしょう。
将軍家や皇族の子弟が、叡山や各寺院の門跡になるのも、そのたぐいです。
後発のイスラムでは、まだ宗教と政治がまだ分離していないのですが、その代わり、まだ偶像崇拝もなければ、修道院のような施設も必要がないようです。
政治は言うまでもなく、政治家の内面では、権力欲と言う非合理的な契機に基づいて行動しているものですが、対外的には観念的思惟だけでなく、実践し、その結果を出さねばならないのも、政治です。
現実政治家は、現実を無視した伝統や、信仰心とか迷信そのままで行動していたのでは、いい結果が出ません。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
