04/11/06

民族国家の危険性2・・幕末の世界(弱肉強食の世界は忙しい)

何しろ当時、トルコは旧時代から残る老大国でしたが、これが崩壊・縮小の兆しをみせていたので、その方向に大関心があったのです。
トルコの崩壊前後の旧支配地は膨大で、これがそっくり西洋列強の草刈場になろうとしていたのですから、そっちに忙しかったのは当然です。
このときから、ロシアの南下政策が問題となり、英露の世界規模での衝突が始っていたのです。
日露戦争は、日本にとっては大変な戦争でしたが、イギリスから見れば中央アジアでのクリミヤ戦争の2番煎じだったのでしょう。
実際に、旧トルコ支配下の中東諸国(地域)は、英仏の保護国化していくのですが、この辺の所は、10/20/05「中東諸国の王制・・・エジプト1」以下エジプトやサウジの歴史のコラムで、少しばかり書いておきました。
その他に、アヘン戦争後の清朝の弱体振りの判明などから、そこにも、列強が触手を伸ばすのに忙しかったのです。
その他に書き出せばきりがないほど、英仏蘭は世界中での覇権争いで忙しく、まともに日本と戦うほどの余裕がなかったのが、日本の運が良かったところです。
餌になる羊が多すぎて、どの羊から食べて良いか、狼族にとっては忙しすぎたのが、日本の幕末における世界だったのです。
こうした結果、長州との戦いで、一国では戦争を遂行出来なくなっていて、4ヶ国連合戦争になった所以でしょう。
列強が中国やトルコの後始末をしてから体制を整えて来る前に、日本が早く対応できたことも大きいのですから、単に運が良かっただけではなく、日本の情報収集の方が早かった・・・矢張り日本は利口だったと言う見方も出来ます。
ただし、これも東の端だから、西洋列強が東漸するのを順次理解できた地の利が良かっただけとも言えますし、見方によってはいろいろです。
いつも書くことですが、先天的な民族の優劣などはなく、地の利や気候風土の違いが、長年の内に経験の差となり、結果的に民族の知恵を変えていくだけ、あるいはその結果民族性と言う個性が生まれたに過ぎないのだとも言えます。
こうした蓄積を元にして、どこそこの民族は、喧嘩っ早いとか、したたかとか器用不器用、我慢強いとかの評価が出来上がるのです。
兎も角日本人は、雨風の情報であれ、政治問題であれ、西からの情報には、敏感です。



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