04/11/06

政治権力の確立と世界の戦国時代化(蒙古襲来と攘夷戦争)

ついでに、わが国の宗教と政治権力の関係を見ておきましょう。
わが国でも鎌倉以来の権力の確立につれて、支配者の造った法が優先する社会になりつつありました。
これを「非理法権天」の法理の流れとして、01/21/04「中世から近世へ(国家権力の強化)1」以降、綱吉の生類憐れみの令までのコラムで紹介しました。
日本の場合、その後鎖国化していきますので、近隣との戦争社会になりませんが、蒙古襲来は、このわが国独自の法による対応が、引き起こした戦争だったとも言えるでしょう。
元(蒙古)は、ただ、形式的な服属と交易を求めていただけとも言われますので、何も使者を切るまでも、なかったと言えるかもしれません。
服属と言っても、今のアメリカの言い分に日本が事実上従っているのと大した違いがなかったのですから、適当に付き合っていけばよかったのです。
今で言えば、アメリカから牛肉を買ってくれと言ってきたり、何か要求される度に、交渉に来たアメリカの人間を殺しているようなもので、無茶なことでした。
日本固有の武士の慣習法からすれば、「頭から服属するか」と言われれば、「ふざけんな!」と言うことで、「先ず戦わないではすまない」のが、当然のルールだったでしょう。
また、「服属する」意味がどこまでを意味するものかが、十分伝わらなかった面もあるでしょう。
北條家では、「兎も角戦って、負けたら、潔く腹を切ったり頭を丸めるくらい終わり」と言うのを予定していたでしょうが、国際ルールは、そんな美学だけでは、おさまりません。
(負けなくてよかったね!)
幕末にも「異国船打ち払い令」等無茶な対応をしていましたが、たまたま国際情勢が複雑で、英国もその他の国々も日本をまともに相手にしている暇がなかった時期でしたから、運良く薩英戦争も長州の四国戦争もことなきを得ただけでした。
アメリカも当時は、南北戦争前後の時期で忙しかったので、少しくらい日本が無礼でも口実を設けてまで、戦争をする余裕がなかったのが良かったのです。
そのほかに、西洋列強諸国は、例えば、クリミヤ戦争(1853年〜1856年)で分かるように、老大国トルコが弱体化しつつありましたので、その支配権の侵蝕・・領土の再編成に忙しかったのです。



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