04/08/06
現在の暦=シフト表と管理社会
03/26/06「商人と規制の親和性9(宗教と戒律)鑑真和上」のコラムで、日本では戒律が輸入されても、根付かなかったことを紹介しました。
日本では厳格な戒律・・・ルールを学ぶよりは、修行・役の行者で有名ですが、行を修めることが重視される方向に向かったのです。
行を修めるのを目的とする修験道(山伏など)は、戒律の導入以来民間信仰・・・在野の宗教となって根強く命脈を保つのです。
明治に西洋医学導入以来、漢方系医療が民間療法と言われるようになったのと似ています。
国家公認の仏教は、鑑真が戒律を伝えた以降は、本来戒律を守ることを基本とするべきものでしたが、こうした修験道を好む国民性からすると、戒律・・今でいえば法律ですが・・・・のお勉強だけした学生(がくしょう)・秀才と言うだけでは、誰も尊敬しません。
こうした国民性に合わせて、何らかの修行が要請される過程で、山岳仏教化していきますが、そのうちに、空海が、真言宗・・密教を伝えたことでやっと、日本文化に融合したのです。
今では、護摩を焚くなどは、ピンとこない人が多いでしょうが・・・。
この密教ほど、超常現象・・・あるいは、異界を重んじる当時の精神・・・民族性に気に入られた修法はないでしょう。
戒律には付き合いきれないけれども、少しはルールが必要だろうと言う意味から、暦が残ったのでしょう。
暦程度の行動基準ならば、「基準自体が緩い上に、棚上げしておいても良い」し、と言うことで何とか折り合いがついて、明治になるまで残れたのでしょう。
この暦の変形として、工業社会或いは、現在の不規則勤務社会では、今流行の勤務シフト表に形を変えているというところでしょうか?
形をかえて、或いは支配者が朝廷から経営者に代わっただけで、時間管理の思想が連綿として続いているのです。
昔のシフト表(暦)は、地域による違いがあって、神棚に棚上げできましたが、今のシフト表はきっちり決まっていて、神棚に上げておくことも出来ません。
それどころか大黒柱にぶら下げておくのではなく、いつも身近に持っていないと出勤時間を間違いますので、その窮屈性は半端では有りません。
私の事務所でも、依頼者と次の打ち合わせの予定を決めようとすると、まだ来月のシフト表がもらえないので予定がわからないという人が増えています。
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