04/06/06

治山治水の必要性2(わが国の川)

08/15/05「気象台から気象庁へ(治山治水の必要性1)」以来、都市の成り立ちに話が移り、そこから商業中心の都市国家と農業社会の違いなど、次から次へと話しが横に行っていましたが、やっとその続きに戻ります。
中国で帝王の必須の事業とされた治山治水を、そのまま日本でも有り難がる教育をしてきましたが、ホントは日本では治山治水はそれ程必要な事業・政治ではなかったことを書いて来ましたが、その続きです。
都市の成り立ちの話のついでに言うと、河港都市として発達したのが漢民族の基本的歴史ですが、元や清の時代には、北方騎馬民族政権ですから、交易ルートである大河に関係のない北京に都することになったのでしょう。
それ以外の政権では、殆どが大河に面して都があるのです。
話を日本の河川に戻しますと、黄河には及ぶべくもないですが、日本では大きい方の利根川などに無理して近づかなくとも、山が身近にあるのでそこから流れ出す幅10メートル前後の小さな水流がいくらもあるし、生活するだけならば、そのくらいの川のほうが実用的だったのです。
こうした川の場合、殆どが山から河底に向かっての河岸段丘ですから、川岸から数十メートルも下がった所にすんでいれば、水かさが倍や3倍になってもどうってことがないのです。
小川ではすり鉢上になっているので、ホンの少し川から離れれば結構高台になっているものなのです。
利根川などの大河の(沖積平野)場合、(外国の人が聞いたら笑われますが・・・・わが国ではという程度の意味です。)何キロにも亘って平らですから、一旦水が出ると、(ダムが出来る時代までは、毎年台風が来る日本では毎回、しかも何回も水が出るのです)幅何キロにもわたって水浸しです。
平原国家である中国やヨーロッパ、或いはアメリカのミシシッピー流域の洪水ニュースを見れば分るように、一度洪水になると溢れ出た水が広大な地域にだだっ広く広がるものです。
これでは生活が出来ませんので、安全な高台に家や集落を構える為には何キロも離れていなくてはなりません。
毎日の水汲みや水場の仕事にも遠すぎて、事欠くでしょう。
こんな訳で、利根川などの大河流域では、時代が下るまでは人が住む必要がないばかりか、危険なので殆ど人が住んでいなかったのです。
奈良県の飛鳥川など、古代に発達した地域の川の規模を見れば分るでしょうが、本当に狭くて川幅らしいものがないのです。
私は15才〜16歳ころに「渕瀬常なき飛鳥川」と古代から詠まれている奈良県明日香村の飛鳥川のほとりに住んでいた事がありますが、実はそんな大ゲサなものではなく、本当に狭い谷川でしかないのです。



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