04/05/06

ライセンス生産の中国と日本の独自性1

中国の古代からのライセンス生産を書いた、ついでのついでに、日本のことが気になる読者が多いでしょうから、日本と中国の違いを私の独断と偏見に基づいて書いておきましょう。
ペルシャからシルクロードを通って来る時代には、メソポタミア地域から見れば、日本は終着点であった中国のそのまた奥地ということになります。
遠すぎたのと日本海の荒波によるリスクが大きすぎたのが、不幸というか幸いして、注文生産やライセンス生産(要するに外国の指導を受けて言われるままに作ることでしょうから発展性がありません。)という安直な道が全くなかったのです。
日本の方から見ても、万里の波涛(凄いリスクです)の彼方から出かけたので、大量輸入に馴染みませんでした。
遣唐使の時代には、命がけの航海ですから小さな舟にガラクタを買ってくるのでは、割に合わなかったのです。
それで、最高級品を少しだけ買って大事に持って帰り、それを見本にして長年かけて、それよりも良いものを作る努力・習慣が身についたのです。
その結果、今でも本気で職人になろうとすれば、
「芸や技術は教えられるものではなく、自分で先生や先輩のいいものを盗んで、人の仕事をとってでも覚えるくらいの気構えがないと駄目だ」
といわれているのです。
この考え方は、ライセンス生産に馴れ親しんだ国民性からは生れません。
ライセンス生産の国では、与えられたマニュァルとおりに文句言わずに働くのが、いい労働者といわれるのです。
(こういう仕事をするのは、労働者であって職人ではなく、いくら働いても職人文化を生み出せません。)
わが国では、先ず、自分で工夫して国産化する習性で何千年も来たので、まず、良い物を見極める能力がつき、芸術的センスも磨かれてきたのです。
戦乱にあってお寺が焼けた場合も、お寺の人々が命がけで仏像その他絵画を運び出して事なきを得た事例が歴史上いくらもありますが、そうした良い物を大切にする歴史があるからです。
これに対して、中国では政権の転覆があると、いとも簡単に宝物類が破却される慣習ですので、中国にはなくなってしまっても、日本に良いものが一杯残っている原因が、そこにあります。



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