04/02/06
市場競争社会と和魂洋才(森の復活1)
市場競争を純化して、各種の仕事の効率をあげて所得が少しばかり増えて、或いはちょっとばかり地位や社会の評価が上がってみても、国民の多くが何時また転落するかおびえ、精神を病んでいる社会を目指すって、何か変ですね。
競争ばかりの価値観では、エリートといえどもその選抜されたグループ内では、また落ちこぼれになる不安におびえていて、いつも誰も心の平安のない社会です。
企業活動でも同じで、かなり成功し世界企業になっても、ホンの一年のことで直ぐに業績が下降したりする時代ですから、ある程度成功したからと言って、あとは5年も10年も安泰と言う世界では有りません。
市場競争の純化が進めると言う意味は、成功者も失敗者も、みんなで神経衰弱になっていく社会を目指すことになるのでしょう。
私は、カウンセラーの充実も当面必要とは思っていますが、それよりもカウンセラーの必要な人が輩出する社会構造に変えていくよりも、みんな(と言うよりも、より多くの人が)が健康な精神で生きていられる、のどかな社会にした方がよいと思います。
以前、01/13/03「文化発信国家へ(教育改革の方向)3」のコラムで、あくびの仕方を習う「あくび指南」の落語を紹介し、、04/03/02 「ワークシェアリング 2
イワンの馬鹿」の話を書いたことがありますが、程ほどに食べていける気楽な社会を望んでいるのです。
千葉人の特質で書いたことがありますが、千葉にはこうした気楽な人がまだまだ健在ですので、私も感染したのかもしれません。
年間所得が600万円で精神を病んでいるのと、年間4〜500万円或いは300万円の所得で健康なのとどちらを選ぶかの問題です。
あまりこんな事を言ってると、イラク並に東京もアメリカから爆撃を受けるかもしれませんが、これは私個人の御託ですので気にしなくとも良いですが、わが国政府はどこまでも和魂洋才で行くしかないのが、つらいところです。
アメリカの言うことを聞きながら、せいぜい鎮守の森の拡張でもして、新興住宅地にも必ずところどころに森を造る条件の都市計画法を作ってほしいものです。
こうして、あちこちにこんもりした森を造り、暇さえあれば営業マンが、(今のように喫茶店で音楽を聞いて休息するよりも、)鎮守の森で車を止めて昼寝したりして、また動き出せるような社会にしていくしかないでしょう。
そのためには、森の木の枝をむやみに伐採する現在のあり方・・・誰がそう言う習慣にしたのか疑問ですが・・これを改めて、木の枝を道路上にたわわに張らせた法が気持ちが良いでしょう。
私は、自治体等が、こうした方面にお金を投じて緑の公共空間を作り出していく方が、(箱物・・・何とかセンターの建設よりも)変質者の犯罪や、精神病者を無くしていくのに効果があるように思うのです。
私の家のすぐ近くに県議会議長公邸とその隣接地に森があって、(もちろん桜もあります)これを県で維持できないので売却すると言う話があって、町内ではもっぱらの関心です。
かなり広い敷地で樹木が繁り、野鳥の楽園になっているのですが、財政赤字を削減するためと称して、このような緑滴る土地を手放して、民間地になっていくのは、(殆ど全部、樹を切ってしまうのでしょう)忍びない気がします。
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