04/01/06
御花見と町内会1(我が家の桜2)
いよいよ桜の季節が参りました。
いつも「ヘ理屈」ばかり書いていますが、4月からカバーも変わったことですし、野暮な話題を少し休んで、桜の話題としましょう。
我が家の桜を、03/30/2 「我が家の桜と公園の桜(環境2) 」のコラムで 以前紹介したことがありましたが、これが年々大きくなって、今では一人前の桜の樹として満開に咲き誇っています。
他人から見れば、まだ公園の桜に比べて一人前でないかもしれませんが、「身贔屓で見れば・・」と言うものです。
例年、わたしの町内では、すぐ近くの公園の大きな桜の樹の下で、御花見の会が催され、(今年は4月2日です)餅つき大会や焼き蕎麦などが町内会の予算で振舞われます。
4月1日(土曜日)には、昼間のうちに様子を見に行き、さらに夜桜も見てきましたが、巨大な桜が空いっぱいに枝をはり、公園の隣のおうちからライトアップしてくれていますので、誰もいない夜の公園の桜の下で家族で見とれて帰ってきました。
小さな町内なので、みんな知り合いばかりで和気藹々(アイアイ・・・変換すると難しい漢字が出てきて驚きます)としたものですが、こうした日ごろの接触が人間関係を良くしていくものでしょう。
最近精神を病む者(精神病とまでは行きませんが、心因性苦痛を持った方のことです)が増えていますが、科学的な因果関係は分かりませんが、日ごろから気を許せる多角的な人間関係が希薄になってきたことが原因の一つかも知れません。
地方自治と町内会の関係を、03/16/06 「地方の独自性とは?9(自治体の広域化7)」のコラムで書きましたが、政治的な意味だけでなく、個々人の精神安定材としても、小さなコミュニテイが必要ではないでしょうか?
幼稚園・・学校や企業或いはサ−クルに属しているだけでは、精神が緊張したままですし、家族関係だけでは緩すぎるのです。
家庭の人間関係がゆる過ぎると言うよりは、家庭外はいきなり優勝劣敗の競争世界ですから、家庭内教育も、それを意識した激しいものにならざるを得ません。
子供の能力に応じて、「こんなもので良いか」と言う歯止めがなくなり、子どもを追い詰めることにもなるのでしょう。
少しでも出来る子は、もっと上を目指すので、まるで出来ない子だけの話ではなく、国民みんなが際限のない競争・ストレス社会になっているのです。
(東大まで行っても、プロ野球選手になれても、その先にまだまだ競争が待ち受けているのは、ご存知のとおりです。)
それが、家庭内暴力その他の家庭崩壊に繋がっているのではないでしょうか?
家庭から一歩出れば、直接競争社会に参加するのではなく、その中間の組織や場が、必要だと思われます。
サラリーマンが、仕事場から妻子の待つ家に真っ直ぐ帰らず、仕事帰りのノミニュケーションその他に時間を費やす時間は、その必要性から生まれたものでしょう。
それにしても、現在社会では、究極の目的が、利益共同体(ゲゼルシャフト)への参画とその成功にあるのですから、愚痴のこぼしあい程度の機能しかない、赤提灯では無理があるでしょう。
そのうえ、会社の仲間との飲み会では、飲酒している分だけ羽目をはずしているようですが、基底には、うっかりしたことをいえないとか、酔いにかこつけて本音を言うなど複雑な関係です。
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