04/29/05

両家実家責任の再考3・保証契約の提案2(スマートに生きよう!)

昔のように親が親であるというだけで、何らかの責任を取る時代から、一切責任を取らない時代に変わったのは、戦後の個人責任の風潮として受け止められていますが、法解釈としては戦前からも変わらないでしょう。
前々回書いたように、戦後の実家は経済力もなくなったので責任を取れない人が多くなって、個人責任だからといって、言いがかり的に責任逃れをしてきただけです。
戦後でも経済力があり、心ある人は、息子の不祥事・・不貞行為などには、それなりの責任をとってきたものです。
ところが、法律に訴える解決が多くなってきますと、親には法的責任がないということになりますので、却って無責任な関係が正しいような風潮になったのです。
道義的責任というものでは、どうにもならない時代になったならば、結婚時の契約でそれぞれ相手方の連帯保証人をつけるようにすればいいのではないでしょうか?
こうした場合、双方の実家が連帯責任を負う約束をするのは、憲法上もなんら問題がないはずです。
ただし、身元保証のように無限定では却って保証責任の限度で揉めるもとですから、契約に当たっては、今後これからの援助分を含めて、1000万円まで責任を取るとかの限定保証が合理的でしょう。住宅取得資金に500万円出してやれば、残保障責任は500万円に減少します。
サラに出産祝いにいくら出せばいくら控除するとかして行けば、保証責任が明確になるでしょうが、食事のご馳走はどうするとか揉める気になればいくらでも材料がありますが、そのくらいの細かいことははもめても大したことがないでしょう。
ところで、夫婦関係でも他人間でも、一々権利として要求されてから行動するよりも、お互い暗黙の約束で行動する方がスムーズではないでしょうか?
親・実家がそれだけの責任を果たさないなら、ということで、若者の方から保証を要求されるまで、知らんんぷりでいるって、大人の生き方として恥かしいことではないでしょうか?
昔の人は、ぎすぎすした保証責任を要求される前に、暗黙の了解でそれなりの責任を果たしてきたのですが、こうした契約前の行動を、前近代的と馬鹿にしますが、むしろ昔の人のほうがスマートな身の処し方をしていたと思います。
西洋の市民革命ほど、レベルの低い話はありません。
国民が立ち上がらねばならないほど、為政者が社会不正義や時代の進展による改革をしないで怠慢を決めていただけの話であって、そういう社会って何が偉いの?というのが私の基本的スタンスです。
現在の公害であれ何であれ、先進国と言うのは大方こうした失敗の歴史に過ぎないのですから、ホントは自慢するようなものではないのです。
小刻みに改良を繰り返したのは先人の知恵としてもいいでしょうが、ドラスチックに革命的変更をしたなんて言うのは、為政者(ひいては、構成員である国民や社員のレベルが如何に低かったかと言うだけの話です。
実家責任を増大化していくと、保証契約の結果であれ何であれ、実家は結婚やその後の生活に際して、何かと発言力が増大してくるでしょう。
親が反対しているのに結婚すれば、当然保障してもらえないことになります。
いざと言うときに親に責任をとってもらいたいと思うからこそ、結婚に際して親の承諾を得たり、お互いに気持ちよくやって行こうとする知恵が生まれたのでしょう。
実家責任を強調していくと、女性の3テイ条件にサラに難しい条件を付け加えるようですが、親が無責任だから、3テイ条件が出来てきたともいえるでしょう。



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