04/29/05

両家実家責任の再考1

離婚原因等によって差をつけようという私の意見では、(子供に罪がないのですから)養育料や児童扶養の各種手当てとの整合性が難しいところです。
ここでは、それは(そのうち書くとして)ひとまず置いといての議論です。
ところで、4月27日・・・・2「いろんな制度を緩やかに17・・・・濫用・偽装離婚?」のコラムで書いた乱用防止にもっとも効果があるのは、実家がその多くを負担する制度ではないでしょうか。
ところが、そうなると、もしもの場合、実家でかなりの部分の面倒を見られないような女性は、うっかり離婚も出来ない、したがって子供をうっかり産むべきではないと言うことになるかもしれません。
実家が貧しいからと言って安易に「子供を産むな」「離婚するな」なんて、ひどい意見だというかもしれませんが、この後に書きますが、底辺層ばかりが、気楽に離婚しては次々と子供を出産する社会では国(世界中がそうなれば人類が・・・?)が持たないと思うのです。
そうは言っても生まれてきた子供の人権はどうする?と言う視点が必要ですから実は難しいのですが、社会の負担を前提にした出産は、できるだけ控えるべきではないでしょうか?
さしたる理由もなしに簡単に離婚する以上は、国や社会ばかりの負担にせずにその結果もある程度自分又は実家で見て欲しいのです。
では男性から、理由のない離婚を求めてきたらどうするかということですが、今のところ破綻主義とは言っても、男性側からは、「厭になったから」と言って無責任な離婚が認められているわけではないのですから、この問題は破綻主義の問題ではありません。
実態は離婚請求しないまま、家に生活費を入れなくなる無責任な男もいますので、矢張りこれも実家で一種の保障責任を持つべきではないでしょうか?
今の制度は、あまりにも個人責任に偏りすぎていると思うのです。
戦後憲法が家の制度を否定し、個人主義を打ち出したからと言って、こうした場面でいきなり個人主義を持ち出す方が権利の濫用みたいなものです。
これは、家の制度の問題ではなく、経済力のない若者が一緒になる以上は、実家で守り立てていこうとする気があるかどうかの問題です。
矢張り、お互いの実家を信頼して結婚する実質は、大事にしたいものです。
戦後実家の役割が大きく後退した原因を考えてみますと、実家と言うか年長者の地位は、知識経験や過去の蓄積に依存しているものですが、資産の裏付けは戦争で根底から失い、知識経験は価値感の転換で、これも根底から覆った人が多いのです。
これに加えて、高度成長期には、地方から都会へと大量の人の移動がありましたから、地方で資産を持っていても都会に出た子女に対する経済的な助けにならない時代になったことも大きかったでしょう。
要するに我々の世代は、親や年長者は口出しをしないので気楽だった面もありますが、その代わり自助努力しかない時代だったのです。
この結果、実家の地位は相対的に低下していましたので、個人尊重の憲法理念と相俟って、実家の役割が一時的に背景に退いていたに過ぎないでしょう。



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