04/18/05

多様な夫婦?5(民法136)近親婚禁止と習俗との乖離・・・内縁2

内縁の場合は、届けることが可能だが面倒だから届けないと言う者と、届けたくとも法のハザマで届けられない場合の両方があって、後者の大多数はどちらかと言えば、政府が古来からの習俗に反して窮屈なタガをはめてしまったために、生じたものが多いのです。
古来からの習俗には、法と言えども反してはいけないという法理があるとすれば、今の憲法違反みたいなものでしょう。
この理は、以前01/21/04「中世から近世へ(国家権力の強化)1、」のコラムで非理法権天の熟語で紹介しました。
(古来からの習俗に反する男女関係は、滅多にないし、仮にあっても社会の反発があって内縁までいかないでしょう。)
4月17日に紹介したような
     「届出したくないから届出しない」
という挑戦的な場合とは、かなり違います。
しかし、お上の決めた秩序(家の制度や婚姻基準など)に反していることは、同じです。
後に紹介する近親婚禁止規定違反の内縁事例も、もしかしたら古来の習俗に反して明治民法が強制していることから、起きた悲劇?救済の必要性かもしれません。
わが国の性風俗は元々自由で、柔軟であったことは、02/15/05 「武家の性道徳と庶民の道徳2(歌舞伎のダシ物)』その他のコラムでで繰り返し書いて来ました。
明治民法は、当時の中堅農家の制度や慣習を法制化したものであると夫婦別氏のシリーズで説明してきましたが、私が言うのは、氏の制度に関して利用したというに過ぎません。
婚姻法制は、これまで01/14/05「私生児率とモラル(戸籍制度3)」その他繰り返し書いて来たように、庶民の性習俗はかなり自由奔放だったのですが、武家法では、観念的な限度で「朱子学・同棲娶らず」などを導入していました。
ただし、「同姓娶らず」のルールも徳川時代に、一応形式上は採用されていたのですが、実際は誰も守らなかったことを、01/07/04 「幕府の婚姻禁止の範囲(同姓娶らず)1」以下のコラムで紹介しました。
明治政府の基本は、王政復古政策でしたので、先ず律令制の復活を目指したことは、これまでも繰り返し書いて来ました。
明治維新当時の事情については、09/12/03「明治維新は王政復古か?(憲法27)岩倉使節団 1」や「09/24/03教育改革・・・・明治維新と学制改革(学制) 2(復古政策)」等あちこちに書いています。
実際に守られていなかったこの観念的な制度を、庶民全部に及ぼそうとしたところ、夫婦別氏制度に関しては、中堅農家の反発が強かったので同氏制度に切り替えたことを、ことしの2月の末ころからの連載で紹介してきました。
太政官制度や、漢学に始って、復古政策は殆どが自然消滅してしまったのですが、婚姻制度の厳格化は、届出を受け付けないだけであって処罰もなかった上に、長い間届出制が定着しなかったこともあって、大して社会問題にならなかったのです。
江戸時代に武士が律令法を殆ど守っていなかったのと同じように、そんな制度は無視してればいいのであって、「どうってこたあないよ」と受け止めたのでしょう。
民法の規定は
    「国の方針を書いただけでしかない。」
    「昔からの律令が、廃止されていたわけでもなかったが、邪魔にならなかったし、・・・・・・。」
と受け止められていたのです。
この結果、民法の近親婚禁止はわが国習俗にかなり反する狭い婚姻制度なのに、「別氏さえ阻止すれば良いか!と抵抗なく導入されてしまったのです。(政治と言うのはそういう取引もあるのです。)
この結果、近親婚禁止の範囲もわが国の習俗と大きく違ってしまったことが、これから紹介する事件の遠因であろうと、私は思います。



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