04/05/05

家父長制の矛盾5(女性の地位低下5)パラダイムは30年周期?

江戸時代後期のように嫁にも婿にも行かず、しかも無宿者ならず、女衒の口車に乗らず偶発的に次男や妹が家に残る稀有の場合には、厄介者と言われながらもこうした保険的制度は機能したでしょう。
(保険事故は滅多にないのが、保険の本質です。)
これが明治になって一家で4〜5人の子供を生むのが普通になって、しかも居候のままでなく一旦都会に出て所帯を持ってしまった弟妹が、失業したから離婚したからといって家族引き連れて引き上げてこられたのでは、制度的に持ちません。
農村の空洞化と共に出戻りの妹や出稼ぎの次三男などが失業しても、家に帰れない事態が大正から昭和恐慌期には発生していたのです。
昭和に入ったころには、江戸時代末に存在した中堅農家の仕組みを前提にした家のパラダイムが行き詰まっていたのです。
この矛盾は、家制度のモデルとした江戸時代末期の自作農が、実質的に消滅し、或いは機能不全に陥っていたのが原因ですから、事態打開のためには、その時代に合致した家族制度への改革と社会福祉政策の方向に進むべきだったのです。
しかし、これに手をつけると天皇制を頂点とする家父長制思想の崩壊に繋がりかねないところから、青年将校や軍部は、家制度改革を主張する民法学者の説を握りつぶして、満蒙開拓など膨張政策に活路を見出したのでしょう。
高度成長期の成功体験が、バブル崩壊後なかなか抜け切れずに苦労したのをご存知でしょうが、家制度による天皇制国家の樹立に成功した成功体験が、簡単に修正することを出来なくしてしまったのでしょう。
もしかしたら、明治30年代に設定したに過ぎない家制度を、日本人の大好きな例の「古来からの不易の制度」のように思い込んでしまったのかもしれません。
民法典論争で紹介しましたが、紆余曲折の末、やっと家制度がまとまったのは現行民法制定時・・すなわち明治31年6月のことですから、昭和初頭まではせいぜい30年余りしかなかったのです。
高度成長のパラダイムもおよそ30年で無理が来た(昭和30年代半ばから平成2年まで)のですから、社会の変化と言うものはそんなところでしょうか?
矛盾は社会の変革によるのですから、矛盾の解決は社会変化に合わせた改革によるべきであって、臭いものに蓋をして外にはけ口を求めてもうまく言ったためしはないのです。
話を別姓問題に戻しますと、こうして女性の得意とする農業(農業だけでなく養蚕などを含めた第1次産業全体です)自体が、空洞化していたほかに、都市労働者化による地位低下、子沢山の関係から女姓が実家に戻ることもできなくなって、家庭内の地位がいよいよ弱体化してきたのです。



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