04/04/05

都市労働者の増加と家父長制の矛盾2(厄介の社会化1)女性の地位低下2

戦前まで家制度存続の有力根拠として、社会的セーフテイーネット機能が主張されていたのですが、(今の郵政民営化反対論と同じ論法です。歴史は繰り返しますね・・・。)これまで書いて来たように明治の家制度は明治初期にあった農家の家制度を基本にしたものでした。
ところが自作農の解体が進んで貧窮化していたし、他方で子沢山でしたから、家督相続者が弟妹全部の面倒を見るどころではなくなっていたのです。
元々偶発的な厄介者の発生でさえ、後継ぎ一家で養うのが大変になっていたのに、明治になって4〜5人も子供を産んで、しかもその子らがみんな都会に出て所帯を持つようになったのです。
その子らが失業したり離婚したからといって・家族連れで帰ってくれば、長男一家がこれを養うことは物理的にできません。
これが出来るなら分家できたわけですから、土台無茶な話です。
それで、離婚で戻るのを「出戻り」として何か非道徳なことをしたかのように卑しめたり、失業して帰ると、「あいつは元々怠け者だから・・・」とか個人攻撃したりして、なるべく戻らないようにしてきました。
女性が男性並に稼げる特別な場合は別として、ほとんどの女性にとっては最大のリスクは離婚ですが、(一種の失業と同じでしょう)「嫌ならいつでも帰っておいで」という実家があるのとないのでは、女性の地位の強弱にとっては大きな違いなのです。
明治以降の子沢山が、女性の地位低下になったと言う意味が、ここにあるのです。
また、江戸時代には、性関係や離婚が比較的自由奔放に行われていたことを、02/17/05「離婚の自由な社会1〔江戸時代の離婚制度〕民法122」以下の連載で1ヶ月ほど書いてきましたが、これが明治以降急速に窮屈になった思想急変の原因・・社会経済的背景が子沢山社会になったことにあったと言えるでしょう。
イザとなったら後継ぎが見てくれるのだからと政府はしきりに宣伝して、長男の単独相続を正当化し、また長男の居所指定権その他の権限強化(弟妹の従属精神)に努力していたのですが、元々不可能な話だったのです。



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