04/03/05

厄介の消滅と家父長制の虚構1

ところが明治以降は再び子沢山時代に突入したのですが、この時代は全部都市労働者として吐き出していたので、死ぬまで付き合う「厄介」の実質はなくなっていたのです。
ちなみに「厄介払い」というのは、運良く次男坊が無宿者などになって家を飛び出してくれた場合をいうのか、江戸時代の言葉にはなくて、明治以降に失業で臨時に戻っていた弟が再就職して出て行った場合に使うようになったのか私には分りません。
明治になってからは、たまに離婚しての出戻りや、失業で戻ったとき(また仕事が見つかればすぐ出て行きます)だけだったので、まだ「厄介」という単語の実用性は残っていたと思いますが、意味がかなり弱くなって「居候」という短期間を意味する用語の方が巾を利かしたしたようです。
(厄介は死ぬまで家を出ないのですから、老人介護の介に似ています。)
ちなみに「居候」は江戸時代からあって、血縁以外又は場合によっては遠い親族の同居を言っていたようです。
江戸時代初期には、武家も農家も分家が原則であったことを紹介しましたが、元々弟妹には親の相続権が本来あったのに、中期以降は分家して貰えなくなっただけですから、同居しているのは当然の権利みたいなところがあったでしょう。
ですから、彼らのことを居候とは言わず、甥、姪以上の遠い関係者を引きとった場合だけを居候と称したようです。
そのうち、後記のように、家督相続者が弟妹の面倒を短期間でも見られなくなってきますと、厄介を掛けられなくなったのですから、厄介という用語は実際上消滅していきます。
高度成長期以降は、いわゆる核家族時代で、親さえ同居しないのすから、死ぬまで終わらないような傍系親族が同居することなどはありえなくなったのですから、最早実際上使用価値のなくなった言葉になったのです。
ただ、社会生活上の用語としては、人の家に泊まったりするとき「ご厄介かけます」とか「厄介になります」と挨拶する時代はまだずっと続いていたようですが、(私の世代しか聞いたことがないかもしれません。)こうした用法も、ここ30〜40年前後前ころからすたれてしまったように思います。
砂埃を立てて走っていた車が停まってもその後から、もうもうとした埃が追いかけてくるように、用語というのは実質がなくなって数十年以上も使用されることが多いようです。
06/18/04「男の沽券・面子4(恥の文化・・・菊と刀2)廃刀令」前後で紹介した、男の沽券もそうですが、05/16/04「国民の祝日に関する法律 4(休日1)」のコラムで、戦後は祭日ではなくなったのに、今でも祝祭日と言う用法があると紹介しましたが、これもその1例でしょう。



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