04/02/05

厄介者から居候へ(分家から部屋住まい・・・都市労働者への橋渡し)

02/09/04「江戸時代の相続制度 9(明治民法の時代錯誤性)」のコラムで紹介したように、
江戸時代初期のころは、大名家でも次々と分家していましたし、農家でも新田開発が盛んでしたので、次々と分家相続していたものです。
ところが中期以降は、大名家に限らず、農家も分家が出来なくなって、次男が生まれるとある程度余裕のある家では、独身のまま家に居残る場合が出てきます。
口減らしと相俟って無宿者や遊女などになっていく様子は、「02/12/05久離除帳(江戸の人口構成3)」前後のコラムで紹介しました。
厄介とは、後継ぎ以外が家から飛び出して無宿者や遊女にならず、家に残った人のことです。
こうしてみると、厄介者は分家相続時代が終わってからも、次三男や娘が生まれるとミスマッチとなって発生したものと分ります。
その時代には、分家が出来ないのですから、当然原則として次男三男の婿入りするべき新しい家も足りなくなります。
現代で言えば、私の大学卒業期には、ダイエーなどに就職して10年もすればどこかの店長になれるといわれた時代であったのが、(そういう呼び込みでした)低成長になると新規出店がなくなって滅多に店長になれなくなった時代と似ています。
そうなると、無宿者や遊女として放逐していったと思われるでしょうが、分家できない時代が来たと言っても、独立させるには足りないないだけで、食うくらいは何とかなる時代があったはずです。
いきなり弟や妹一人養えない時代が来るわけではないでしょうから、最初の数十年は家に残るパターンが多かった筈です。
今でも独身の娘の家を建ててはやれなくとも、同居して一緒に食べていくくらいは何とかなるのが普通で、当時もいきなり遊女に売り飛ばすなどは考えられません。
こうして家に残る時代があって、次の時代には、すぐに適応して一人二人しか生まない工夫をしたのでしょうが、その時代がきても運悪く多く産んでしまって、しかも養子先などの口がない場合などは、家に残ることになってしまいます。
これが、滅多にない災厄として、受け止められて「厄介」となったのでしょうが、これも時代が続けば普通は適応していって、滅多にこうした悲劇が起こらないようになります。



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