04/26/04
過疎地域対策緊急措置法(過疎地とは2)
過疎地域対策緊急措置法 (昭和45年4月24日法律第31号)での過疎地とはどんなものだったのでしょうか?
(目 的)
「人口の急激な減少により地域社会の基盤が変動し、生活水準及び生産機能の維持が困難となっている地域について、緊急に生活環境、産業基盤等の整備に関する総合的かつ計画的な対策を実施するために必要な特別措置を講ずることにより、人口の過度の減少を防止するとともに、地域社会の基盤を強化し、住民福祉の向上と地域格差の是正に寄与する・・・。」
過疎地域の要件(人口要件・財政力要件)
昭和40年国勢調査人口の昭和35年国勢調査人口対比減少率0.1以上
財政力要件
・昭和41-43財政力指数の平均値が0.4未満
新たな国勢調査結果により追加公示
「人口の急激な減少により地域社会の基盤が変動し、生活水準及び生産機能の維持が困難となっている地域」を言うもので、しかも上記のように一定の人口減少地域で、財政力の劣っている地域を言うものらしいですね。
東京都千代田区のように、財政力があると、人口が減少しても法律上は過疎地とは言いません。
この要件にあたるところが、急激に過疎化してきたので放置できなくなって、「緊急対策」の措置法となったのでしょう。
私が前回のコラムで考えた過疎地の概念と同じですね。
この法律が昭和45年ですから、昭和30年代半ばから約10年間の高度経済成長の結果生じたひずみ修正を抜本的に考えるべき時代がきていたのです。
ちなみに10年一昔と言いますので、過去10年の結果をこれから10年で何とかしようと言うもので、この法律は10年間の時限立法でした。
高度成長が始まってから10年間効率ばかりの追求をしてきて、ここらで一息ついて効率ばかりの行き過ぎを是正しようかと、農振法(44年)や農工法(46年)、更には都市計画法(43年)など一連の面としての計画・国の政策が一斉に進んでいたことが分かりますね。
このうち都市計画法は、発展を前提に秩序付けようとする前向きのものですが、その他は、どちらかと言うと後ろ向き政策です。
国土庁 地方振興局 過疎対策室 のホームページの説明によりますと、過疎地対策緊急措置法10年間で、集会室の整備や、道路の舗装率の上昇などによる交通不便の解消など、一定成果が上がり、かつ人口減少も、30年代から45年までに比べて大幅に下がって一応の成果が上がったと自讃したうえで、10年間の時限立法の予定通り失効したと説明しています。
その説明によると、基盤整備とは言っても、即物的な公共工事をしてきただけです。
人口減少率に歯止めがかかったのは、公共工事の成果ではなく、逆に成果が上がらず、人口の絶対量が少なくなってしまったことにあるでしょう。
集団就職する子ども自体がいなくなったのですから、纏まって人口流出できなくなったのです。
後は徐々に老人が自然消滅するのを待つだけですから、0、何%台になるのはあたりまえです。
以下は、私にの意見ではなく、役所の説明そのまま過疎対策室のホームページからの転記です。
「(4) 事業の概要
緊急措置法の制定により、過疎地域市町村及び過疎地域を有する都道府県は過疎地域振興計画(前期・後期5か年ずつ)を策定することとなり、これに基づいて生活環境、産業基盤等の整備を図る各種の過疎対策事業が実施され、必要な財政、行政、金融、税制上の特別措置が講じられた。昭和45年度から昭和54年度までの10年間で、計画に基づく過疎対策事業費の総額は合計7兆9千億円にのぼり、主に交通通信体系の整備を中心に事業が進められた。
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(5) 緊急措置法の10年間の成果
緊急措置法に基づく各種過疎対策事業により、過疎地域における公共施設の整備水準は相当の向上をみた。特に市町村道については、改良率が昭和45 年度末の9.1%から昭和54年度末には21.3%に、舗装率は昭和45年度末の2.5%から昭和54年度末には27.8%に上昇するなど、大幅に改善が見られ、過疎地域の地理的、自然的に不利な条件を克服することに役立った。また、地域住民のコミュニティ活動の拠点となる集会施設についても、市町村単位、集落単位等のそれぞれで施設整備が進み、この時期までに約80%の過疎地域市町村において、市町村全域を対象とする中央集会施設が整備されたが、このうち約60%は緊急措置法の制定された昭和45年以降に設置されたものであった。
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(6) 法の失効
昭和48年の石油危機を経て日本経済が安定成長へとその基調を変えたこと、過疎地域の居住条件の改善が見られたこと等により、昭和50年代の過疎地域における人口減少は鈍化の傾向を示した。すなわち、昭和35年から40年、昭和40年から45年の各5年間には10%台を示していた緊急措置法下の過疎地域の人口減少率は(国調人口)、昭和45年から50年の5年間をとると8%台に低下し、その後の動きをみても年率1%足らずの割合で推移していた。こうして「最近における人口の急激な減少」に対処して「人口の過度の減少を防止」することを目的とした緊急措置法は、その目的をほぼ達し得たものとして、10年間の期限を迎え、昭和55年3月31日限りで失効した。」
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