04/23/04
戦後の農業政策8(農工法と過疎地対策1)
農工法が出来た時点で(昭和46年には)、本当は農業の規模の拡大や近代化によっては(幾らあがいても)アメリカなどの農業国と太刀打ちできないばかりか、国内他産業従事者とも収入格差が開くばかりなので、出来るだけ農業従事者を他産業へ誘導して、農業従事者を減らして(安楽死?)行こうとする政策になったように思います。
こうした法律は、政策の基本法ですから僅か1年や2年で緊急に造るものではないのですから、企画する人間は、何年も根回しして、企画を暖めていたはずです。
ところが、農工法制定は、農振法制定後僅か2年しかないのですから、農振法制定当時から議論があったはずですから、農振法制定自体、農民を誤魔化す為に当て馬として制定されたのものだったかもしれません。
それに農工法適用地域が法定されているのも不思議です。
普通の法律は一定の要件を書きますが、農振法のように精神を書くだけが普通です。
農工法のように、農振地域、山村振興地域、過疎地の3種と法定するは珍しいですね。
この傾向から見えることは、池田内閣以来の高度成長が続いて、都市と農村の格差が拡大する一方で、これをどうにかしなくてはならないと言う政治要請が垣間見えます。
今でいえば中国が、開放政策以来、沿海部と奥地との経済格差の拡大に頭を悩ませていますが、それと同じ問題があったのです。
そのためには、農業振興とうたっては見たものの、農業を如何に近代化しても都市住民並の生活保障するには、無理があるという本音があったのでしょう。
農村生活者の生活水準の上昇を図るには、農地の改良では限界があるというだけではなく、農業だけに頼るのではなく、農山村においても工業化を出来るだけ奨めようと言う時代になっていたのです。
農振法と農工法は、建前と本音の衝突した法律であったように思います。
農振法で「これから農業を振興する為に国は本腰を入れますよ!」と宣言しながら、ほんの2年のちには、本来農業を振興すべき地域と指定した地域或いはその地域を含む市町村に対して、工業誘致が出来れば、補助金付けでも誘致したいと言う法律を制定しているのです。
農業予算をつぎ込んだ点はかなぐり捨てて、農業委員会の審査もなしに農地転用できる法律にしてしまったのですから、国政としては矛盾した法律です。
こうして農村地域に工業や倉庫業等の立地を図り、これが農業と競合しても、(既に書いたように、工業用地は元農地が殆どですから工業立地と農業とが両立できないことが多いのです。)農業委員会の許可がいらないと言うのですから、工業誘致が優先することになります。
昭和40年代中ごろからの農業政策は、見た目は派手にお金を使っていますが、実は、農業の安楽死を目指していた可能性があります。
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