04/14/04

戦後の農業政策1(自作農創設特別措置法と土地改良法1)

土地改良法のところでも書くつもりでしたが、明治政府だけでなく、最近まで農政担当者は、農業の生産性を上げる為には、アメリカの真似をして「少しでも規模の拡大が重要だ」と言う考えであったように思われます。
その一環として、明治政府は自作農追い出しを考えた節[フシ)もありますが、耕地の半端な規模拡大では、耕地整理にかかるコストの割りに何にもならなかったのです。
要するに明治以来、つい最近までのアメリカの真似をした規模拡大の考え方は、破綻していたのですが、つい最近のバブル崩壊まで気づかないで来ただけです。
もしも明治政府やその頃の農業専門家が、規模拡大が近代化だと思って、地主への土地集約を後押ししていたとしたら、まさに農政の失敗のツケで、農村が疲弊してしまったと言うことになります。
今になって分ることは、(後講釈は誰でも出来ますが・・・)有機農業その他、個性的な農業で勝負しなければ、アメリカや西洋の粗放農業の真似では、駄目だと言うことではないでしょうか?
りんごやさくらんぼ、梨でも柿でも安いから輸出で出来るのではなく、こってりと手間ひまかけた高級品として売れているのです。
こうした、方向性が正しいとなれば、土地改良に膨大な資金をつぎ込むのは大した意味がないはずです。
地租改正で、小規模農家が没落し、耕地整理政策の結果、地主まで苦しくなって、農村の窮乏化が進みました。
これが満州その他の外地への進出圧力にもなり、(もともとこうした労働力輩出目的でしたが、止まらなくなったのです。)2・2.6事件などの若手将校の蕨起は、農村の窮乏を背景にしたものでした。
こうして農村の窮乏化は、日本軍国主義への温床になったのは周知のとおりです。
敗戦後の日本民主化のためには、農業の民主化、即ち自作農の復活しかないという国論[多分占領軍の意見でもあったでしょう。)になったようです。
自作農創設と言いますが、明治5年以降の売買自由化によって、借金その他の理由によって小作農に転落していた元自作農を、地主の損失において、復活させるのですから一種の徳政令だったともいえるでしょう。
敗戦は、昭和20年8月15日で、その翌年には戦後真っ先の改革として、昭和21年に農地改革の為の自作農創設特別措置法が出来ているのですから、戦後改革のトップと言うところでしょう。
如何に占領軍が重視していたかの証左と言うところですが、これまでの放置政策から一転して、国家が農業政策に積極的に関与する基本原則が、この法律で宣言されたのです。
明治政権とは180度の転換です。
農地解放に続いて、昭和24年耕地整理法を廃止して土地改良法を制定し、改良事業の主体は、国、公共団体になりました。
既に書いたとおり、農村の疲弊は、耕地規模拡大政策の誤りにあるのですから、同じ政策のまま、お金をつぎ込む主体を地主から国や公共団体に変えても、駄目なのは同じです。
こうしていったんやりだしたら止められないと言う公共工事になってしまいましたから、際限なく補助金が膨張していきます。
農民も、どうせ国がお金を出してくれるのだからと無気力に付いていくだけですから、農業が根底から駄目になっていったのが、戦後農政ではないでしょうか?
補助金行政の失敗ではなく、国際競争力をつけるために、大規模化が必要と言う物まね思考が誤りだったのです。
日本陸軍仕官学校を出た蒋介石軍は、いつも日本軍に負けていたのは、どうあがいても日本軍の亜流でしかなかったからです。
アメリカの亜流を幾らやっても、国土が違い歴史も違うのですから、粗放農業ではアメリカには勝てません。
日本は、江戸時代以来の歴史がある集約農業で頑張るしかなかったのです。




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