04/13/04
明治の農業政策3 (耕地整理法にみる思想)(土地区画整理組合との比較)
戦前の農政は、耕地=農地の整備であり、しかもそれを自助努力に任せていたところ、窮乏化してしまった農村を背景に、軍国主義化が進んでしまいました。
耕地整理組合が何故経済的に破綻したかを、これと似たやり方の、土地区画整理組合の場合で考えてみましょう。
土地区画整理の始まりは、(近郊農地の宅地造成は、その後に発達したものでしょう。)都会地の細い路地の入り組んだ旧市街を、交換分合によってまっすぐな広い道路を中心にして、街区を整え、宅地も纏まった形にするものです。
私の最初の経験的記憶では、昭和30年代中ごろの山手線大塚駅前の区画整理や、東急池上付近の区画整理があります。
区画整理の結果は、道路が広くなったり公園が出来たり、各種経費に当てるために売却する土地が必要(これを保留地といいます。)となる分だけ、従来住んでいた土地(従前地と言います)よりも交換してもらう土地の方が狭くなリます。
こうして従前地よりも減少する分を減歩と言い、場所にもよりますが、平均3割前後で運営されていました。
その代わり、大通りに面する土地や駅前広場に接する土地は、何倍にも値上がりしますし、各個人の土地も、曲がりくねった路地奥の土地だったのが、歩道つきの立派な街区の土地になりますので、かなり価値が上がります。
その値上がり益で、工事費や事務費用を支払っても(この費用にあてる為に組合員個人に換地しない土地を保留地といいます)お釣りが来ると言う訳です。
田中角栄氏の信濃川河川敷問題は有名ですが、千葉でも、金権政治家は、前もって、崖地などの斜面をただみたいな値段で買い占めておいて、組合理事長などに就任し、錬金術に利用していたものでした。
駅前に限らず、大都市近郊の農地もこうして宅地造成が繰り返されました。
これがバブル崩壊後、値上がり益がなくなってしまったので、工事費も払えなくなって行き詰まっているのが現状で、宙ぶらりんになっている区画整理中の土地が、皆さんの近くにもあると思います。
ところが、農地の場合は、農道を整備したり、区画を方形にしても、反当り収量が倍になることはありませんし、効率がよくなったといっても、何倍と言えるほどの合理化でも有りません。
機械が入れるようになったと言うだけで、その機械がまた高いのですから、かえって貧乏になるくらいです。
まして戦前の人力中心時代には、曲がりくねったあぜ道で囲まれた水田と、方形の水田が並んだり100坪の小さな3つの農地が300坪(一反歩)の農地一つになったとしても、仕事の能率がそれ程差があったとは思えません。
見た目がすっきりする程度でしょう。
そうすると、その基盤整備の工事費(これは小さな家一軒建てるのとは桁違いに工事費がかかるのです。)や、耕地整理中の数年に亘る耕作不能期間などのマイナスを補うものがないのですから、民間(私財)でやるのでは、組合員が窮乏化する一方です。
こうして地方の資産家が、どんどん没落して行きます。
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