04/10/04
イギリスの囲い込みと我が国の自作農崩壊との相違・・・農村の窮乏化政策
イギリスの囲い込みは、地主が従来の農業を改革するために、小作人を追い出す必要があってやったことですから、小作人を追い出したあとを、広大なひつじの牧場に変えるなど、農業の近代化も進みました。
我が国では、経済発展の必然ないし農業の構造改革の必要からではなく、最も遅れた地域(貨幣経済の未発達地域)で自作農崩壊現象が起きたのですから、単に自作農が、小作人化、農奴化したに過ぎません。
北方博物館の例で分るように農業の近代化は全く進みまず、敢えて言えば、時代逆行現象でした。
見て来た感じでは、近代化の為の大規模化ではなく、古代の荘園・森鴎外の「山椒大夫」(安寿と厨子王の話です)に出てくるような大規模農園にしかならなかったようです。
最も遅れたロシアで革命が起きて、最も遅れた農奴状態の農民が集団農場の構成員になったようなものかも知れません。
現在人は明治以降の窮乏化した農村しか知りませんから農村は昔から貧しかったと思う人が多いいと思いますが、江戸時代の農民は豊かで、年中祭りばかりしていたほか、俳句など文化行事にも参加して楽しんでいたのです。
芭蕉など文化人の地方廻りを支えたのは、地方の豊かな農民でした。
豊かな農民と言うと、つい明治以降に発生した大地主・豪農を想像したくなりますが、江戸時代には、農地売買が禁止されていたので、大地主はいなかったのです。
しょうや、名主の家と言ってもほんのちょっとの地主でしかなかったのです。
祭りをしたり、奥の細道の句会に集まったのは地主ばかりでなく、豊かな自作農が多くいた筈です。
話はさらにそれますが、佐倉宗五郎などの一揆は、自作農の集まりでこそ起きるのです。
人に使われている小作農ばかりの世の中だったら、命がけの一揆などするわけがないのです。
自作農が殆どの農民社会だったのに、明治政府は、意図的にこれを分解して自作農転落を企図した政策をとったために、農民の窮乏化を生み、女工哀詩とか身売りとか、苦しい農村に変えてしまったのです。
あまりにも窮乏化政策ががうまく行き過ぎて、止まらなくなってしまい、満州進出・2・2・6事件などに突き進む背景・温床になっていったのでしょう。
映画「おしん」を生み出したのは、政治の結果であり、天然自然に東北の人全般が貧しかったわけではないでしょう。
江戸時代に、東北・北陸とその他の地域の経済格差がどれほどだったか分りませんが、研究してみれば、今程大きくくなかったのではないでしょうか?
少なくとも、幕末期の新潟は、江戸に次ぐ大人口を抱えていたと、ものの本で読んだことがありますよ。
今から想像もつきませんが、豊かな地域だったのです。
尤も、明治以降の急速な経済状況の変化に、これらの地域がうまく適応できなかった面もあることは否定できないでしょうが、政府の農村窮乏化政策も大きな影響があったかもしれません。
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