04/07/04
明治政府の政策と農地の流動化1(地租改正と、農地売買の自由化)
驚くでしょうが、明治以降、敗戦までは、現在のような農家保護政策はなく、むしろ他の産業同様に、放任主義と言うべきか、あるいは積極的な窮乏化政策でした。
4月5日と6日のコラムで書いたように、世界中が農業保護してると言うのに、何故明治政府は農業放任主義ないし窮乏化政策に転じたのでしょうか?
政権と言うのは獲得してしまえば、支持基盤の変化を望まないと書きましたが、たまたま明治維新政府に限っては、国の仕組みが従来のままで、変化しないと列強にやられてしまうので、御一新した革命政権ですから、政権側から敢えて農地の流動化、農民の窮乏化を望んだ世界的にも歴史上希有な政権だったと思います。
明治維新は政権基盤が変更して、その新しい勢力の支持によって、革命政権が出来たのではなく、先にどうあるべきかの国民ないし指導者の選択があって、新しい国づくりにまい進したのが明治政権であり、その意味では、啓蒙的専制君主制であったと言えるかも知れません。
今の小泉政権が、既存秩序の破壊を(表向きだけ?)でも標榜しているのと似ていますが、明治政権は本気でしたから、逆に表向きは王政復古と言いながら、しこしこと革命的に変化をして行ったようです。
王政復古と維新当初の関係は09/24/03「教育改革・・・・明治維新と学制改革(学制) 2(復古政策)」の連載コラムでも一部紹介しました。
政治の世界では、本気でやるときは別の名目でいつの間にかやってしまうことでしょうし、
表向き標榜するときはウソ臭いと思っておおかた間違いないでしょう。
明治5年に寛永以来の農地永代売買禁止令が廃止されました。
(条文自体は入手できませんが、参考にしている牧氏外の日本法制史の本には明治5年廃止まで存続と書いてありますので、信用しましょう。)
そしてその翌明治6年の地租改正で年貢が金納になったので、お金で払えない零細農家が続出し、必然的に地主小作関係が発生して来ました。
とりわけ、換金作物に縁のなかった地方では、貨幣経済が未発達ですから大変な事態でした。
この地租改正と、農地売買自由化とは一体の政策であったと言うのが私の解釈です。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:憲法に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:米国、合衆国、アメリカに関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:歴史に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:江戸に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:戦前に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:戦後に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:武断に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:中国に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:民事に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:農地に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
