03/25/08
通貨主権2と国際協調(サミット)
何しろ、プラザ合意(1985)の前日の為替相場は1ドル235円だったのですから、その後相場が100円〜120円台で推移している現在から見れば、この合意の威力・・現在社会に及ぼしている影響力のほどが分かります。
江戸時代中期以降の政治課題の中心は、経済問題であったと03/13/08「政策責任者の資格10(宗教の役割1)」以降のコラムで書いて来ましたが、国連と言う政治の場と離れて経済中心に話し合う国際通貨基金やG5(常任会議)が発達し、それでは役不足になったのでトップ級のサミットが必要になってきたので、経済大国首脳の会議であるサミット制度が定着したのです。
要するに経済問題は裏方の事情では無く、戦争の原因になる重要なテーマであることを正面から認めて、表立って議論するべきテーマになったということでしょう。
いわゆるサミットは、1973年のオイルショック・・第一次石油危機後の世界経済に関する骨太な舵取りの必要から、1975年フランスのディスカ−ルデイスタン大統領の提唱により、フランスのランブイエ城で、米英日仏独伊の先進6カ国の首脳会議が開かれて始まったものです。
これにカナダが加わり7カ国となり、ソ連崩壊後2003年にロシアが加わったので、以降8ヶ国となって現在では、「先進何カ国」と言う名称が無くなり、主要国首脳会議といわれるようになっています。
それでもまだロシアの経済力が小さいので、金融などの専門家会議であるG7に参加しても意味がないので、今でもG8と言わずG7のままらしいです。
今では先進国ではなくとも、中国やインドなどは経済的に無視できない影響力を持つようになったので、中国その他がオブザーバー参加していますので、事実上いつも10カ国前後の大会議になっています。
このように、経済はグローバル化してきたので、主権にこだわってはいられなくなってきたのです。
中国などもサミットの正式メンバーとして参加したくてうずうずしていますが、中国も参加する以上は、そこでの約束に拘束されざるを得ない・・世界経済のルールに従わざるを得なくなるでしょう。
野に放った虎にするか、飼いならした猫にするかの古来からの議論です。
ところで、もしも、世界的中央銀行が出来て、そこだけが金利政策や公共投資をする時代が来るとどうでしょう。
世界の一部で、不景気だからと言って、一々金利を下げてくれないので、これも大変です。
日本全体の景気が良いのに、青森では失業者が多いからといって、日銀が全国の金利を下げないのと同じです。
ですから、当面は主要国間の協議によって、通貨供給量などを決めて行く緩やかな世界銀行的な運営が続くのでしょう。
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