03/16/08
政策責任者の資格(日銀総裁と財務大臣)7
しかし、その後金利・・公定歩合の上下による市中金利の調節がインフレとデフレの循環を制御するのに有効と言う思想になって来ると、好不況の波を受ける国民のために働く政治家にとって金利動向は最も強い関心事になってきました。
これは汚職的関心とは違い、合理的な政治家の役割です。
この時点から、中央銀行の中立性の原理は、実態的役割から見て問題のある金看板に過ぎなくなってきていたのです。
日銀が、紙幣=円の価値さえ守ればいいのだと言う古典的スタンス・・今では結果的に円高政策ばかりやるのが許されないと言えば分かりよいでしょうか?
紙幣の価値を守る頑固な爺さんのイメージ・・政治は知らなくて良い・・音痴の方が良いと言う時代はホンのちょっとの期間だったのです。
1万円札の価値がどの辺が良いか・・すなわち国際評価がどの程度でよいか・・どの程度の円評価が良いかは、国民に対して責任のある政治・・財政当局の判断事項でしょう。
好景気が良いのかどうかも政治の分野・・判断すべき事項ですし、実際不景気になると政権交代になるのが殆どですから、財政政策の大きな部分を政治に関係のない機関が仕切っている方がおかしいのです。
更に、その後ケインズ革命によって、金利調節だけでなく、財政政策の景気に及ぼす重要性が認識されて、財政と金融政策が併用されるようになったのですが、ケインズは、当時の中央銀行の中立性の圧倒的支持の思想下・・・一種の神話下での妥協として、賢人による政治を主張したのでしょう。
03/08/08「ケインズ経済学3と賢人政治」のコラムで、少し紹介しましたが、生々しい政治から距離を置いた経済政策が必要という意味で、政治と投資的政策発案者の分離の原理が提案されたものでしょう。
しかし、利害関係人の要望ばかり聞いてその要望にあわせて政治をしていれば一種の汚職ですから、どんな分野でも距離を置くべきは同じことです。
経済は、個別の商い・・・特定関係人の救済のためではなく、日本経済あるいは世界経済全体のためにどうあるべきかと言う視点で論じるべきものですから、元々個別ニーズにとらわれて行動すべきものではないのです。
個別の事件を担当する裁判官が、政治判断で事件処理を曲げては、困りますが、その前提となる抽象的な法律を作るのは政治の分野になっているのと同じです。
財政と金融分理論は、政治家に任せると個人的利害で経済を捻じ曲げるからだという基本的前提があるのですが、個別の補助金とは違い、金利をどうするか、マネーサプライをどうするかの大綱の決定に個人的利害が直結する話ではありません。
時代がここまで進めば、財政の方向性と金融の方向性を政策的には一本化すべき時代でしょう。
紙幣の無制限発行の誘惑は残りますから、当面は二本立ての機関としておいて、最終決定は両者の協議によるなど、結果は右か左か,前進か後退かの方向性を一致させるべきです。
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