03/14/08
政策責任者の資格(日銀総裁と財務大臣)4
佛教は、現世での役に立たなくなって、仕方なしに来世を約束するしか無くなったとも言えるでしょう。
最新知識の導入が出来なくなって久しく、現実政治に対する影響力も失い、最後は学問の場としての地位も儒学に奪われたのが江戸時代初期までの状況です。
こうして江戸時代初期から、学問の対象が朱子学に移り、その成果で1600年代後半から1700年代初めにかけて儒教家から新井白石・荻生徂徠(いずれも偶然ですが、千葉に縁のある人です)などの人材が出ました。
しかし、哲学者がいくら優れていても、とき既に遅く、日本経済はもっと進んでいたので、実際の役に立たないのが分かったのか、その後平賀源内や伊能忠敬などを見てもいいですが、在野から人材が出て儒教家からの人材も出ていません。
政治と思想発展の順序を考えてみると、古代には、祭政一致でやれたのは、やるべき政治の内容が人事・・権力争いくらいしかなかったからといえるでしょう。
それでも、争いが絶えなくなったので春秋戦国時代を経て、人事争いのルールを作ったのが、大きくは覇道と王道・主従のルール・長幼の序、先生と弟子などを定める儒教と言えるかもしれません。
同じく、最初は軍事的天才が大王も務まりましたが、これも政治が複雑な利害調整になってくると、軍政は臨時に限定されていきます。
軍政が、恒久的に不可能なのは、民主主義かどうかの問題ではなく、これも政治的妥協や経済政策など軍人にはうまく処理出来ない時代になってきたからです。
以上書いて来たように政治の専門家、軍事の専門家、さらに、江戸時代中期以降は経済の専門家が必須になってきたのです。
この点が分からず、先ず綱吉の時代には余ったお金の使い道に苦しんで、町民・・西洋ではブルジョアですが、金貨を宴席でばら撒くなど他愛のない贅沢・・奢侈に流れるしかなかったのです。
贅沢は悪だというのが儒教的帰結ですが、お陰で元禄文化が花開くのですから、贅沢でもなんでも貨幣の流通量拡大がそれなりの消費需要拡大の口火には、なったのです。
ただし、芸術ばかりでは経済拡大に繋げられませんから、後が続かなかったのです。
以上見てきたように、今の政治には、宗教家でもなければ哲学者や文学者でもないだけでなく、今や法学者でもだめなのです。
経済専門家の登用が不可欠な時代が来ているのです。
わが国もアメリカに習って、政権が変ると経済界から人材を引き連れて新たな政権を形成するくらいの人材交流が必要です。
日本では、審議会と言う官僚の作った筋書きのところで、学者が議論しているだけですが、これでは、実務としては心もとないのです。
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