03/14/08
政策責任者の資格9(宗教の役割2)
惻隠の心と言っても、経済政策がうまく行けば、多くの民に福祉の分配(底上げ)が出来るし、失敗すれば福祉を削る・給付水準の切り下げしかないのですから、マクロとしての経済政策の重要性が分かるはずです。
これは、一般の家計を見ても直ぐ分かる話です。
「経済はどうでもいい惻隠の情さえあればいいのだ」という幼稚な議論は、国民を欺くものです。
政策実行の現場では思いやりも必要ですが、先ずは経済政策の力点の置き方が重要で、その政策の巧拙が国民生活水準の99%前後を決めてしまい、後はちょっとした微調整の段階が惻隠の心です。
このように江戸時代中期以降は「経済政策が政治のすべて」と言う時代・・宗教家から武士=戦闘能力→儒学者の時代が終わっているのです。
こうなると、江戸時代初期に活躍した天海僧正その他、哲学的思惟で優れてはいても経済に疎い黒衣の宰相の出る幕が無くなっていったのは当然です。
政教分離というのは、政治思想・信教の自由の問題だけではなく・社会生活の複雑化から経済取引の発達によって宗教家が政治=経済政策を行うのは、実務的に不可能だから分離せざるを得なくなったとも言えるのです。
わが国での佛教は、渡来の初めから最新知識の伝播、インテリの供給源として存続してきたのです。
お水取りで有名な2月堂や3月堂(法華堂)などと言われる由来を、11/28/05「儒教との距離5(定着していた仏教2)」で書いたことがありますが、それぞれ勉強会が開かれるお堂だったのです。
平安時代には宗教とは別に大学の制度が導入されていましたが、大学から先の大学院のような機能を、これら南都北嶺などの宗教権威が担ってきたのです。
これが中国での佛教の衰退によって佛教を通じた新規知識の流入が失われ、この機能を儒学に奪われたのが、わが国の佛教が葬式佛教と寺子屋に転換せざるを得なくなったおおきな理由でしょう。
以後教育期間としての機能では、子供相手に教える場所貸し業くらいにしか機能しなくなったのです。
ちなみに、寺子屋で教えていたのは、僧侶ではなく、武士・・浪人でした。
ついでに書きますと、弘法大師も具体的な溜池や井戸掘りなど、あるいは病気をなおすなど、舶来の最新知識を利用して民衆の支持を集めていったものです。
勿論東大寺も丹塗りで色鮮やかであり、お寺と言えば、黒ずんだ遠い過去のものというイメージではなく、むしろ、最先端建築、最先端音楽、最先端芸術を展示して国民を引きつけるべきものだったのです。
今になると、黒ずんでいる仏像や建物をありがたがる変な趣味に陥っているのです。
03/07/08 「市場原理5とわが国の阿弥陀信仰1(現世の経済学と来世の宗教1)」で書き始めた意見で話が横に行ってますが、そのうちまた戻りますが、日本に伝来したころの宗教は、決して来世の幸福だけを約束する宗教ではなかったのです。
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