03/12/08
政策責任者の資格8(儒教道徳と市場経済3)
どうせ石原氏が右翼としての晩節を全うするならば、自分の方針で危ないところに積極的融資をさせておきながら、その責任を経営陣に押し付けるよりは、
「弱者救済の為にやったのだ、何が悪い!」
と開き直ってやめることでしょう。
そうすれば、貸し渋りなどといって、銀行の姿勢を批判していたマスコミや、当時賛成した都議会に責任を持っていけるでしょう。
今回、惻隠の心にかこつけた市場経済批判の本が百万部単位で売れていることや、参議院戦後の地方重視(本当の自治体の権限強化ではなく)と称して、補助金行政の復活論に自民党は戻ろうとしていますが、新銀行東京の赤字問題と根は同じです。
いつも「弱者の痛みに・・・」と言う後先を見ない赤字垂れ流し論が勢いを持ちやすく、こうしたことのお先棒担ぎが好きなのも右翼です。
私は現在の新自由主義経済もそれなり問題があるはずだという印象を持っていますが、専門家ではないので、はっきりとは分かりません。
ただ、これまで書いているように、私の素人的印象では、量的緩和・・円の海外垂れ流し・・マネタリストの考えでしょう・・が、わが国や後進国にとってはそれなりの効を奏したが、資源高騰など世界経済・世界的バブルに大きな影響を及ぼしたのだから、その功罪をきっちり論ずべきだと言う立場です。
経済学者は、既にやっているでしょうが・・・。
それに前々回から紹介している数学者の作家は、わが国の世界に誇れる民族古来の道徳・・武士道を賛美するのですが、道徳が根付くのは、その時々の生活方式に合致しているから尊重されるだけです。
儒教道徳が輸入されて、国学となったのはご承知のとおり江戸時代にはいってからで、この辺の経緯は、11/28/05「儒教との距離5(定着していた仏教2)」前後のコラムで連載しました。
それまでは、佛教道徳と古来からの在来信仰とが渾然とした価値観で秩序が保たれていたのです。
専制君主の官僚機構向け秩序である朱子学は、わが国では木に竹を継いだようなもので、御恩と奉公・・対価関係で成り立っているわが国では、公儀が強制するから仕方たなしに、観念として受け入れられただけでした。
お城に出たときだけ着る裃と同じで、日常生活は佛教と習俗で生きていたのです。
しかもこれを強制されたのは武士だけでしたから、庶民には、明治まで関係のない世界でした。
儒教道徳が、庶民一般に広げられて、これが行き渡ったのは、漸く昭和4〜50年ころであると言う視点で12/04/05「儒教的社会の完成5(内部告発の奨励と社会の停滞1)」前後で連載しました。
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