政策責任者の資格6(惻隠の情と市場経済2)
現在は、惻隠の情・・正確には心ですが、その有無という基準ではなく、その発露としてどこまで医療費や住宅の保障、養育費の補助、障害者に対する施設、仕事場の確保をするかどこまで補助するかなど具体的な政府の施策が問われているのです.。
あるいは、金利政策も低ければいいかとなると金利生活者が増えているので、国民には膨大な損失が発生します。
借金の多い企業に有利なだけかというと、倒産直前企業には延命効果がありますが、金利に連動する投資利回りが低くなりますから、国民の資金が海外投資に向かってしまうので、前向きの企業にとっては、国内投資資金の受け入れが出来ません。
具体的な政策提言・・他の支出との整合性を図りながら・・どこまで実行するのが合理的かを考えて実行しなければならない時代ですから、「惻隠の情」などと言う100周回遅れの基準を持ち出しても解決しないのです。
福祉であれ、軍事費であれ他の支出との整合性がいつも問題になりますので、経済成長すれば、その支出余力が増える道理ですから、どこの国でも総生産高の増加・・経済成長を目指しているのです。
惻隠の情の最大化を図るには、結局はどうすれば日本経済がより大きくなれるか・・一人当たり生産性が上がるかの研究が要請されているのです。
ちなみに、惻隠の情とは、紀元前の孟子が言い出した熟語で、高校時代に読んだ漢文のうろ覚えでは、ジュッテキ惻隠の情と言う熟語で、「井戸に落ちそうになる幼児がいれば誰でも駆け寄って助けようとする」などの例を引いた文章だったと思います。
ちょっと昔の教科書を取り出して見てみると、
「有不皆忍人之心(人みな忍びざるの心有り)」で始まる文章に続いて、「今人乍見孺子将入於井、皆有??惻隠之心」(いま人、乍=たちまちにして、じゅし将に井に入らんとするを見れば、皆、ジュッテキ惻隠の心有り)として性善説を展開するのです。孺子(じゅし)とは、幼児のことで漢楚の攻防で有名な「鴻門の会」に出てくる単語ですから御存知の方が多いでしょう。
(インターネットでコピーできなかったので一般にない漢字変換が大変でした。・・・ああシンド!)
しかし、古代には、井戸に落っこちる程度の簡単な話で済みますが、今では生活が複雑ですから、単純な生活レベルで生まれた惻隠の心という抽象的基準では、何事も進まない・・具体的適用が問われる時代に、100周回遅れの基準を持ち出しても何の役にも立ちません。
彼の意見を聞いていると、どうすれば最大多数の幸福を実現できるかの、解決策の提示に意味があるのではなく、市場競争社会の到来に対する反感に応じて日本民族は優れていると言う根拠のないキャッチフレーズとして、利用したに過ぎないでしょう。
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