03/10/08

政策責任者の資格(日銀総裁と財務大臣)2

話が大分それましたが、現在の市場主義とは、新自由主義と言われるもので、会計基準というインフラを守らせて、独禁法に始まって、証券取引その他各種取引のルールをきっちり決めて(インサイダー取引もいけません)と言う意味ですから、金融関係の規制は複雑になる一方です。

マネタリストと言っても、その対象になる金融商品は複雑化を極めていて、貨幣供給量を計る物差しが難しいのです。

学者もよほど金融商品の最先端技術に通暁・・・・現場に出たり入ったりしないと・・訳が分からなくなるでしょう。

日銀も昨年だったか、30年ぶりに通貨供給量・マネーサプライの定義を変えたばかりです。

ここで、03/07/08 「市場原理5とわが国の阿弥陀信仰1(現世の経済学と来世の宗教1)」の意見の続きに戻ります。

以上書いてきたように、現世の最大多数の最大幸福を図る経済政策のあり方を見れば、投資を代行する金融業の発達以前には、ミクロとマクロとでは価値が逆転していました。

(個々人の生き方では勤倹貯蓄が正しいとしても、社会全体では消費減退でみんなが困る言う関係です)

そのうえ、現在では上記のとおりまた別の理解が可能ということで、経済学説も錯綜していますし、(・・とくに金融工学の発達で、金融取引は複雑になる一方です)こんな複雑なことを、宗教家や哲学者が理解したり、実践するのは不可能ですから、宗教と政治の分離は不可避・・合理的だったのです。

そこで宗教は、生きながらえるために来世に逃げ込むしかなかったと言うことでしょうか?

こうして宗教家の政治からの排除が進みましたが、その後現世・・俗世界の政権担当者も進化を続けるのです。

先ず政治と軍事の分離が軍事能力の専門性の故に先ず現れます。

中国で

皇帝と軍師が早くから、分離していたのはその歴史です。

その期間が長かったのですが、今度は政治家と経済責任者の分離も始まったのです。

わが国では、政治家としては有能ではあっても、経済に疎い吉宗が米相場には手を焼いています・・・。

その後を受けた松平定信や水野忠邦にあっては、もっと単純に勤倹貯蓄を説くばかりでしたから、改革とは言うものの失敗に終わっているのです。

社会が古代からの道徳律だけではなく、経済の原理で動くようになっていたのですが、それが意識界ではまだ分からなかったのです。

定信などの秀才は古いことを習得するのが得意な人が多く、新しい時代は見えないのです。

 



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