市場原理5とわが国の阿弥陀信仰1(現世の経済学と来世の宗教1)
いつも書くように、私のコラムは学問研究では無く思い付きばかりですから、無茶に乱暴な言い方ですが、アダムスミスの国富論・・レッセフェールは、あなた任せと言うと語弊がありますが、ともかく「人智は多寡が知れている」「後は良いようにしてください」という点では、七面八膚に活躍しているように見えても、実は観音様の手のひらから出ていないと言うわが国の観音信仰や、阿弥陀信仰にも似ています。
(正確には、他力本願とはあなた任せではないことについては、02/27/08「般若心経5(空と虚無主義との違い2)他力本願」で説明しました)
あえて違いを言えば、阿弥陀信仰は、現世の生き方の指針ではなく、政治的迫害や天災による被害その他生き方の失敗による苦悩を阿弥陀様が全部引き受けてくれるのに対し、英米では「自分で勝手に解決しなさい」となるのでしょうか?
英米の哲学では、現世での生き方の指針を与えて、少しでも落伍者を少なくする方向・・最大多数の最大幸福への研究であるのに対し、宗教は失恋その他多様な局面で敗者になった後のケアー・・あるいは失敗しないための個人的堅実な生き方・・内面の鍛え方・・教えである点が違います。
現実政治と宗教の役割の違いとも言えるでしょう。
儒教その他既存宗教的道徳では、個々人としては質素倹約が正しいのですが、ケインズ流に考えれば、それでは全体として、投資(需要)がマイナスになる・・・・不景気になって多くの人が苦しむのですから、宗教界の個人向け現世の指針は、社会全体の行動指針としては役に立っていないのです。
政教分離といいますが、そもそも異宗教間の争いを政治に持ち込むのがいけないとか、特定宗教の強制がいけないなどの人権問題ではありません。
本質的には、上記のように宗教家は経済政策を遂行する能力も智慧もないから、こうしたグループが政治に口出しするのは職業として無理があるのです。
近代以降政教分離が言われるようになり、徐々にこれが実現されていましたが、上記ケインズ革命以降、宗教が政治に口出しできなくなったのは、まさに「故あるかな!」と言うところです。
いわゆるケインズ革命ですが、これは1935〜36年の一般理論によるもので、大恐慌対策や、第二次世界大戦後の経済政策として一世を風靡したものですから、皆さんが詳しくご承知のとおりです。
ただし、現在では、個々人がタンス貯金する時代ではないので、(バルザックの時代のように、ゴリオ爺さんが地下室の甕に金貨を溜め込んでいるのとは違うのです)銀行預金すれば銀行が代わって投資してくれますし、各種債券投資や株式投資も事業家がそのお金を使って事業投資しますので、同じです。
老後や病気が心配だとしても、箪笥預金しなくとも保険をかければ良いのですから、保険会社が機関投資家として資本投資しますので、これも同じです。
ですから、現在社会では勤倹貯蓄は、それ自体が投資不足になって全体として経済的にマイナス効果を生み出すわけではありません。
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