03/05/08
右肩上がり社会と市場原理1
以上、庶民大衆を「やわ」にする方向ではなく、もうちょっと強くする方向への意見を書いてきましたが、カントやニーチェの予定対象である人格の確立した中堅以上の精神的寄る辺はどうなっているのでしょうか?
中堅以上の人も、長い人生には、それなりに弱い面・・弱気になる場合・・神仏にすがりたくなる場合があるのです。
最近の主流は、邪魔くさい思想・・哲学など考えずに実利一辺倒で行く、経済哲学?・・結局神の見えざる手・・市場経済に頼る傾向と言うことでしょうか。
ここ20〜30年ばかり、思想家や哲学者の陰が薄くなっているのは、このせいでしょう。
政治分野での民主主義的相対多数の原理は勿論のこと、市場経済という思想自体、市場の相対的な評価を前提にしたものです。
今では貨幣でさえ、国際取引商品になる・・すなわち貨幣価値が日々変動する時代ですから、何事も相対的価値の時代と言うべきでしょう。
国力が上昇し、成長を続けている限り、この種の流れに身を任せておいても国民の多くが、それで満足できる社会です。
何しろ、景気変動があると言っても右肩上がり経済ですから、苦しい人はホンの一握りしかいないし、失敗しても再起のチャンスが多いからです。
こう言う時代には、内面を掘り下げて「ああでもない、こうでもない」と辛気臭い議論をしている思想家がお呼びではなくなり、哀愁を帯びた文学作品も姿を消し、経済学者が幅を利かすのは当然です。
ところが、低成長時代になると、一旦敗者になると簡単に再浮上できなくなる人が多くなりますので、こうした実利にだけ関心のある気楽な時代が終わりを告げるでしょう。
本来閉鎖社会では、低成長時代イコール競争のゆるい社会だったのですが、今のように国際流動化の時代では、一国だけ低成長=競争のない安定社会とは行きません。
低成長に安住していれば、その国・地域は高成長の国・地域から進出してきた企業の餌食になるしかない・・・国内に例を取れば、その県や地域は大手スーパー支店や工場のパート労働者ばかりになってしまうのと同じで、国際的に見ても現地工場しかない国になったのでは惨めです。
低成長イコール安定であった江戸時代とは違い、低成長になるとかえって神経衰弱が増えるしかないでしょう。
(ただし、人口が何割か減って、同率の成長率低下なら、問題がないでしょう)
しかも、こう言う時代の方が商売に失敗する確率が高くなります。
景気がよければ少々の失敗でも何とかなるのが、不景気だと直ぐに取引を打ち切られてしまいますし、景気がよければ少し能力の差があっても同じように採用されますが、不景気になると人材選別も厳しくなります。
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