03/19/07
情報媒体(活字からテレビへ)1(分際の消滅1)
テレビの発達する前には、情報媒体は文字が大きな役割を果たしていましたし、音声だけに頼るラジオの時代には、欲望の刺激といっても限界があったのです。
私の中学生時代までは、テレビがまだ一般化しておらず、大相撲やプロレスなども電気屋さんの前に集まって黒山の人だかりの中で見たものでした。
サザエさんの漫画に、こうした事情が出ていますが、まさにそのとおりの時代でした。
当時は、まだ栃若時代の少し前・・太鼓腹の鏡里や吉葉山、栃錦の時代でした。
そう言えば、そのころ大きな身体の吉葉山が、小さな団子虫みたいな形のルノーに乗っている写真が新聞に出て、話題になったころで、車に乗るのは有名人だけの時代だったのです。
その後、力道山のカラ手チョップに沸いた時代には、もうテレビが普及していて茶の間の中心になっていしました。
テレビが出回ったと言っても、まだまだ映像ニュースは映画館で見る時代でもあったのですから、今から考えると夢のようなテンポの遅い時代でした。
三度笠・・股旅物などの映画を見に行くと、(そのころは3本立てが多く、よく見に行きました)その前に必ずニュース映画・・・ヘラルドトリビューンと言ったかな?があって、(今の予告編みたいな扱いでした)これが幅を利かしていたくらいでした。
テレビは、美智子妃殿下の成婚式にあわせて、(私は、そのときには既に高校生で、2重橋から三宅坂のあたりを馬車が進行する映像を見たものでした。)漸くテレビが爆発的に・・庶民に普及したのです。
テレビ以前の文字文化による影響に限れば、現在のサラ金顧客層には、その時代にはコマーシャルなどはほとんど関係がなかったでしょう。
このように活字文化中心の時代には、情報に接するのは知識人・・一定の資産のある階層中心でしたから、貧富の差・・格差は、昔からあったのですが、それなりに地位相応の生活でみんな満足していたのです。
(「分相応に生きる」と言う社会意識が、まだまだ通用していた時代でした。)
分際と言う言葉については、11/19/05「朱子学とは2(君臣名分論)で、わが国に定着した由来を紹介しました。
以後、日本人は「分際」を守ること・・・・日常の言葉遣いから衣類_、あるいは家の規模、門構えからお墓の大きさまで「分相応」であることを厳しく戒められて育ったのです。
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