03/31/06

物作りの発達と基本的人権思想2

西洋でも重商主義の時代には、言論の自由や学問の自由は問題になりませんでした。
むしろ多元的価値観の社会である封建領主支配を打破して、みづから強力な唯一絶対の規制を求めて絶対君主制を応援したのが彼ら商業資本家だったのです。
絶対君主の「絶対」とは、相対の反対語であって、多元的価値を認めない制度です。
また商業権益を確保するためには、海外進出先での強力な王権・軍事力による後ろ盾と規制が必須だったのでしょう。
これに対して、2度の革命で王権の弱くなっていたイギリスで、産業革命を経験して、飽くなき技術革新を目指すようになると、王権による保護や規制よりも学問や思想の自由度を求めるボルテージが上がってくるようです。
生産者にとっては、強大な権力の保護は必要がなく、それよりも自由に研究して自由な生産活動をできる環境のほうがよいのです。
農民と戦争のコラムでも紹介しましたが、生産者は支配者が誰に変わっても大事にされるので、権力者の変更に関心が有りません。
赤穂浪士のコラムでも書きましたが、塩田の技術者は、浅野家が断絶しても次の領主が大事にした筈です。
ただ、赤穂藩の御用商人は入れ替えになったでしょう。
このように商人にとっては、権力の入れ替えは死活問題となるのです。
研究所のある生産者という大げさなものでなくとも、農家でも創意工夫するのに一々国家の許可がいる社会では困るでしょう。
自分の判断で、適地適時生産したり、適地適時作付けすればいいのであって、権力の大小は関係が有りません。
むしろ、害の方が大きいでしょう。
この害が出たのが、戦後の大規模農協の指導による、画一生産強制によって考える力を失った農業の衰退だったのではないでしょうか?
このように農業社会では、農協でさえ邪魔なのですから、国家という大きな組織はいらないのです。
思想、表現の自由や言論の自由などの基本的人権は、政治家や学者のためにあるのではなく、もの言わぬ生産者のためにこそあるのです。



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