03/30/06
法の支配と被支配5(英米法とイスラム2)
ところで、近代では、国家統一ルール制定のためには、強力な王権の成立を必要として、絶対王制が出来たのですが、今では統一国家=王制である必然性が有りません。
世界交易の統一ルール制定も、同様に一国だけの強力な軍事力に頼らず、民主的話し合いで決めていく社会になって欲しいものです。
私は、これを、実務的な交易ルール制定作業と見れば、感情的にならずに、実務的で、しかも事務的に処理できる合理的な調整過程に変更できるように思われます。
ただ、スポーツのルールと違い、商取引のルールを決めるには、ルールを守らせる権力=強制力が必要ですから、権力争いになりがちなのです。
3月27日・・・2のコラムで、日本の要求であれば中国は聞かず、アメリカから言われれば、直ぐに国内取締りに乗り出す現実を紹介しましたが、国際強制には、権力がまだまだ必要な現実があります。
「良い物を作れば、売れるのだからいいじゃあないか」
「権力など要らないよ」
と言うノー天気なことを言っていると、泥棒みたいなデザイン盗用者や国に対抗出来ないのです。
古代には、こうした需要から市場を仕切る親分・・・交換ルールの守護者としての王様を生みだして来たことを、08/30/05「都市の成り立ち9(異民族支配)」その他で既に書いて来ました。
いまや、有体物の窃盗だけでなく、デザインなど無形財産の盗用も取り締まれるルールの制定とそれを強制できる権力者が必要とされているのです。
西洋でも、元はヤクザみたいな者が、王や貴族の前身であったと言われています。
近代国家で絶対君主制が合理的であったのは、当時は、権力といえば王様か封建君主しか知らなかったから、より広域の権力者として王様が重宝されただけの話でしょう。
古代ギリシャやローマでは、共和制が普通でしたし、必ずしも王権が必要なわけでは有りませんでした。
「ルールを決めること自体には、物理的強制装置・・軍事力の必要はないはず」
と言うのは易しいですが、まだ、国際連合が、大国の横暴を押さえる権力を持っていないのが現実ですので、実際にはその裏づけを持っている国がOKしないと実効性が伴い難いのです。
国家権力を超えた国際的市場経済に頼るには、この秩序を守らせるに足る超国家権力の存在が必須なのです。
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