03/29/06
法の支配と被支配3(ローマ法から英米法へ)
03/09/06「国際手形、小切手法1」コラム以下で、国際手形条約の説明をしましたが、日本は独自性を主張したつもり?で、署名の代わりの記名押印も有効としましたが、自主性と言ってもこんな程度のことで、手形の本質には関係が有りませんでした。
各国は自主的に国会で議論し、毎日新たな法を作っていますが、法体系を受け入れると言うことは、大枠の価値観を受け入れると言うこと、せいぜい、国法に対する地方の条例や規則制定権程度の自主性しかないのです。
このローマ法の体系が揺らぎ英米法が次第に侵蝕しているのが、戦後社会と言えるでしょう。
戦後の現在社会で、証券取引・・会社法などでは、国会で議論した挙句に、結局は英米で発達した法を取り入れる事が多くなっています。
結局は、英米の思想・・・すなわち英米の国会を通過した法律の精神で、少しばかり条文の位置を変えて、自国を統治することになるのですから、現政権は英米の言いなりではないと言っても、結果は同じことです。
昔のように上位者からの具体的な命令があって、そのまま服従するのではないとしても、上位者の決めたルールをそのまま受け入れるのは、その支配下にはいったことを意味するのです。
「この牛肉を買いなさい」というアメリカの命令では、反発があるでしょうが、アメリカが自国で決めた食品安全ルールを他国に押し付ける事が出来るとすればどうでしょう。
一生懸命国会で議論しても、結局は
「アメリカの基準に合致していれば受け入れるしかない」
と言うことで、日本の基準をアメリカの規準同様に変更するならば、国会は何のためにあるのと言うことになります。
これでは、結局アメリカが自国の国民にだけ強制できる筈のルールを、他国に押し付けることができていることになります。
押し付けられる他国は、自分達はアメリカの国会に議員を送れないのに、アメリカの国会が決めたルールの強制を事実上受け容れて、同様の国内法を作るしかないとすれば、アメリカの支配下にあるのと同じだと言うことです。
綱吉の生類憐れみの令のように「犬を大事にしろ・殺したら死刑だ」と言う法律をブッシュさんが作って、日本にも押し付けてきた場合を想定すれば、その国の法律を受け入れると言う場合の支配と服従の関係が明白になるでしょう。
今の支配関係は、そのような個人的な恣意で自分の国民に対してでも強制を出来ませんが、その代わり法と言う合理的衣をまとっているだけの話です。
独立国と言っても、アメリカの属国になるかどうかを自主的に決められると言うだけの話です。
しかし、05/23/05「近代戦と戦争遂行能力2(主権国家2)」以下のコラムで、兵器体系の独立と主権国家の関係について書きましたが、兵器体系が自前でない限り、真の独立は達成できません。
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