03/26/06

商人と規制の親和性9(宗教と戒律)

鑑真和上日本の仏教と違い、ユダヤ、キリストやイスラム、などの世界宗教は日常生活の微細に亘るまで、戒律があって、うるさいのはご承知のとおりですが、実は仏教も、もとは同じだったのです。
天平の昔、鑑真和上・・688〜763(持統2〜天平宝字7)来日の由来をご承知の方が多いと思いますが、彼は、日本へ正統な「戒律」を伝えるために、苦難の末に来日したのです。
そして、戒壇を設け、戒律を授けたことが、彼の功績とされていますが、戒律こそ仏教の生命だったことが分かるでしょう。
この点わが国では、白村江の敗戦以降、国際商業から足を洗い、農業社会化していたことを、これまで繰り返し書いて来ましたが、その結果、厳しいルールの必要な社会ではなくなっていたのです。
ちなみに、ここで言うルールは交換経済のルールのことです。
日本社会経済構造に馴染まないところから、折角鑑真が伝えた戒律はお蔵入りになってしまい、南都の律宗系は直ぐに廃れて、真言や天台の時代になり、中世には念仏関係宗教の全盛になるのです。
日本の仏教は、戒律の勉強よりも、山岳信仰と相俟って修行することだけが重視されていくのです。
比叡山の有名な千日回峰業など、過酷な修行に耐えたことが、日本では重要なのです。
これまで、03/02/06「商から農への転換5・・・西洋の場合2(回教の実利と仏教の哲理1)」前後のコラムで、ユダヤ教もイスラム教も、交易のために発達した宗教であると書いてきましたが、この意味でも裏付けられるでしょう。
仏教は、戒律としては基本的なことが中心であって、それだけに学問に対する干渉が少なく自由な思考を促進するよい面もありましたが、戒律としては抽象的過ぎたのです。
これに対し、イスラムの方は、成立したのが約1000年も仏教よりも遅いこともあり、より新しい時代の商業経済活動に適した具体的な戒律・ルールを用意出来たでしょう。
古くに出来た仏教は、商業経済の発達についていけなかったので、交易の進んだ海岸線でイスラムに負けてしまい、日本を除けば商業化の波に洗われなかった内陸の地域・民族だけでしか生き残れなかったのです。
中国への仏教伝来の経由地でさえあった西域諸国で、その後の交易発達につれて、後発のイスラムに駆逐されて、流砂にうずもれた古代遺跡しか残っていないことを既に書きました。
西域では交易ルートから遠く離れたチベットでだけ、仏教がそのまま残っていることも、こうした視点でみれば分かります。
その後中国本土でも、仏教は実学思考の儒学に押され、次第に衰微し、禅宗などの内面沈綸の瞑想哲学に変化してやっと生き残っていくのです。



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