03/24/06

刑事手続と私権2(反射的利益6)警察の広域化と検挙率1

ところで、現在は曲がりなりにも権力維持のための警察ではなく、民主警察を標榜している以上は、国民の要請に応えていかねば、存在意義が問われかねない時代になっているのです。
刑事制度も反射的利益の観念に頼らず、国民が警察や検察の処置に不満があれば、行政訴訟のように、各種訴訟できる時代になって行くべきかもしれません。
行政を担当する役人は国民の公僕といわれて、久しいのですが、行政訴訟が3月22日・・2以降に紹介したように、ホンの少しだけしか国民からの要求権が認められなかったのですが、最近の改正で少しばかり風向きが変わってきたようです。
しかし、今のところ刑事処分権はキングズベンチの名残かも知れませんが、王権・権力行使の中枢ですから、これに対しても、行政訴訟のように、不作為の違法確認や義務付け訴訟のような権利行使を認めるようになるには、なお100年単位の時間が掛かるのでしょう。
アメリカのように大陪審制度があって、起訴不起訴に関してだけは、民意を反映できるようになっているところもあるのですが、アメリカでも、警察の不作為に対する訴訟制度まではありません。
陪審制度はモロに裁判そのものに参加する仕組みですし、日本でもうすぐ始まる裁判員制度も国民の裁判への参加を模索するものと言うべきでしょう。
この問題点はいろいろですが、兎も角国民の司法手続き参加を曲がりなりにも実現しようとする意欲は、買うべきだということになるかもしれません。
ところで、これまで、あまり警察の怠慢が問題にならなかったのは、普通は、被害者の要請(殺された遺族による犯人挙要請)と警察の秩序維持への関心が一致していただけであるという、厳然たる事実がそこにあったのです。
その上、後追いの捜査の場合は、警察はデータだけ取っていて、たまたまある事件逮捕された被疑者が、その機会に過去の何十件と言う余罪を自白する習慣があることから、2〜3年もたって、「御宅に入った泥棒が捕まりましたよ」といって、その時の事情を聞きに来られると、事情を知らない被害者は、3年も捜査してくれていたのかと感激していた面もあります。
検挙率の実態に付いては、11/17/04「警察の廃止3(検挙率の実態2)」前後で連載しています。
ところが、外国人事件などが増えてきてそうした「棚からぼた餅式」の仕事では、どうにもならなくなって来たことも検挙率低下の原因ですが、このこともそのコラムで紹介しました。
(外国人は明白そのものの事件でも、簡単に自白しないで否認するのが普通ですから、まして余罪など自分から自白することはあり得ません。)
検挙率低下は外国人が増えたと言うのが、当局のいい訳ですが、それだけでなく、後に述べる広域化大規模化に依る、間接要員比率の増加・・・現場の足腰低下の方が大きいのではないかと言うのが、私の仮説です。



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